これがお婆さんの口癖でした。お婆さんに言はせると、東京は生馬《いきうま》の眼でも拔かうといふ位の敏捷な氣風のところだ、愚圖々々して居ては駄目だ、第一都會の人は物の言ひ方からして違ふ――よくそれを私に言つて聞かせたものでした。姉さんも笑ひながら、
『そりや、お前さん、東京の人の話は「何」で通るからネ。ちよいとあの何を何して下さいナ――あの何ですが――それでお前さん、話がもうちやんと解つて了ふんだからネ。えらいよ。』 
 斯樣な風に言つて聞かせました。地方から出て來た斯の姉さんでもお婆さんでも、小父さんを助けて、都會で自分等の運命を築き上げようとする健氣《けなげ》な人達でした。
 めづらしく姉さんの氣分の好い日が續いて、屋外《そと》へでも歩きに行かうといふ夕方などは、お婆さんは非常に悦びました。その頃、尾張町の角のところには毎晩のやうに八百屋の市が立ちました。私は靜かに歩いて行く姉さんやお婆さんの後に隨いて、買物に集る諸方《はう/″\》の内儀さんだの、市場の灯だの、積み重ねた野菜と野菜の間だのを歩き※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]るのを樂みにしました。銀座の縁日の晩な
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