い通りへ出、丸茂といふ紙店の前を過ぎ、(あの紙店では私達はよく清書の『おとりかへ』をして貰つたり黄ばんだ駿河半紙を買つたりしました。)それから數寄屋河岸について赤煉瓦の學校へ通ひました。どうかすると六ちやんと二人で辨當の空箱を振りくりながら歸つて來て、往來の眞中へぶちまけたことも有りました。
 豐田の姉さんは性來多病で――多病な位ですから怜悧《りこう》な性質の婦人だと他《ひと》から言はれて居ました――起きたり臥たりしてるといふ方でしたから、直接《ぢか》に私の面倒を見て呉れたのは主にお婆さんでした。
『お婆さん、霜燒《しもやけ》が痒《かゆ》い。』
 そんなことを言つて夜中に私が泣きますと、お婆さんは臥床《ねどこ》から身《からだ》を起して、傷み腫れた私の足を叩いて呉れました。
 斯のお婆さんは私に、行儀といふものを見覺えなければ成らないと言つて、種々な細い注意を拂ふことを教へました。客の送迎《おくりむかへ》は私の役※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りでしたが、私はお婆さんに言ひ附けられた通り客の下駄を直し、茶などもよく運んで行きました。
『江戸は火事早《くわじばや》いよ。』
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