の頃のことを思出すと海の見える座敷で海苔の香氣《にほひ》を嗅いだことが私の幼い記憶に浮び揚つて來ます。なんでも其日は姉の家のものが皆な揃つて外出して、私はめづらしい處で一緒に食事をしたやうに思ひますが、それが品川邊の料理屋であつたか何處であつたかは、よく覺えません。唯海苔の香氣の記憶だけ、しかも鼻の先へ匂つて來るやうに殘つて居ます。そんな風にして私は諸方《はう/″\》へ連れられて行きました。
姉夫婦の傍には私は一年あまりしか居りませんでしたが、しかしその間に受けた愛情は少年の私の心に深く刻み着けられました。それからずつと後に成つて、姉の夫の身の上には種々な變化が起り、その行ひには烈しい非難を受けるやうな事もありました。さういふ中でも、猶私が周圍の人のやうには姉の夫を考へて居なかつたといふは、全く斯の少年の時に受けた温い深切の爲で――丁度、それが一點の燈火《ともしび》の如くに私の心の奧に燃えて居たからであります。
素朴な私の田舍の家と違ひ、姉の家にはまた別の空氣がありました。そこの祖母《おばあ》さんは名古屋風の趣味を持つた人で、綺麗に片附けた下座敷へ琴を取出して時々なぐさみに掻鳴しま
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