られて、翌日私達三人の少年は故郷の山村を發ちました。坂になつた驛路の名殘の兩側には、それぞれ屋號のある親しい家々が並んで居ます。私達は一軒々々田舍風な挨拶をするために立寄りました。日頃洗濯や餅つきの手傳ひなどに來る婆さんとか、又は出入の百姓とかの人達までいづれも門に出、石垣の上に立ちして、私達を見送つて呉れました。九月の日のあたつた村はづれまで送つて來て呉れる人もありました。暗い杉の木立の側を通り、澤を越して行きますと、字《あざ》峠と言つて一部落を成したところがあります。その邊まで私達に附いて來て名殘を惜む人もありました。お頭《かしら》の家のある峠を離れて、私達は旅らしい山道に上りました。
その頃は京濱間より外に鐵道といふものも無く、私達の故郷から東京まで行くには一週間も要《かゝ》るほど不便な時でした。それに大きな谷の底のやうな斯の山間《やまあひ》を出て、馬車にでも乘れるといふ處まで行かうとするのには、是非とも高い峠を二つだけは越さなければ成りませんでした。
全く方角も解らなく成つて了つたやうな、知らない道を三日も四日も歩いた後で、私は銀さん達と一緒に左樣いふ峠のしかも險しい石塊《
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