そツと家を拔け、子供心にも別れを告げるつもりで、裏道づたひにお牧の家をさして歩いてまゐりました。私は人に見つからないやうにと、何《ど》の位《くらゐ》苦心して竹藪の側や田圃中の細い道なぞを通つたか知れません。何故といふに、村で一番不潔な男を親に持つたそのお牧の手に養はれたといふことは、絶えず私が他《ひと》から調戲《からか》はれる材料に成つて居ましたから。私は調戲はれると言ふよりは嬲《なぶ》られるやうな氣がして、その度に堪へ難い侮辱《はづかしめ》を感じて居りました。で、隱れるやうにしてお牧の家まで歩きました。丁度お牧の父親も家に居る時で、例の油染みた髮結の道具などが爐邊に置いてあつたかと覺えて居ます。お牧の家の人達は非常に喜びまして、私のために鍋で茶飯を煮《た》いて呉れました。私が茄子《なす》が好きだからと言つて、皮のまゝ輪切にしたやつを味噌汁にして呉れました。その貧しい爐邊で味つた粗末な『おみおつけ』は、私に取つて一生忘れられないものです。それから三十年あまりの今日まで、どうかして私は彼樣《あゝ》いふ味噌汁を今一度吸ひたいと思つて、幾度同じやうに造らせて見るか解りませんが、二度と彼の味を
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