方へ歸つて行きました。しばらく忘れて居てめつたに平素《ふだん》思出さないやうなことが、しかも一部分だけ妙に私の頭腦《あたま》の中に光つて來ました。例へば、お牧がよく水汲みに行つた裏の深い井戸の中へ、ある夏の日のこと兄が手製のレモン水を罎詰にしまして、細引に釣して冷したことが有りました。私はそのレモン水の罎を思出しました。私は又、道さんだの問屋の子息だのと一緒に遊び※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つた村の裏河づたひの細道、清水の槽《ふね》、落雷のために裂けた高い杉の幹、それから樂しい爐邊の火に映るお文さんのお母さんの艶々とした頬邊《ほつぺた》などを遠く離れて居てしかもあり/\と見ることが出來ました。私は道さんへ宛てゝ少年らしい返事を出しました。その返事は道さんから父の方へ※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つたと見えて、父が私の書いた手紙を批評して寄したことが有りました。
 覺束ないながらも私が故郷へ文通するやうに成つてから、父は話をするやうに種々な事を手紙で知らせて來ました。ある時、私は父から受取つた手紙を讀んで行くうちに、若い嫂の懷姙といふことにブツカリました。『行ひは必ず篤敬』などと餞別の短册に書いて呉れる父のことですから、其手紙も至極眞面目に、私にも喜べといふ意味でした。しかし私は『あゝ左樣か、姉さんに赤んぼが出來たのか』では濟ませませんでした。何故と言ふに、大人には左樣いふ言葉は何でも無くても、少年の私は初めてそれを見つけたのですから。しかも父の手紙の中に見つけたのですから。私は自分の身のまはりに何とも言つて見やうの無い世界のあることを感じ始めました。
 例の窓からは往來を隔てゝ時計屋の店頭《みせさき》が見えます。白い障子の箝硝子《はめガラス》を通して錯々《せつせ》と時計を磨いて居る亭主の容子《ようす》が見えます。その窓の下へは時折來て聲を掛ける學校の友達もありました。斯の少年は級は私より一つ上でしたが、家が三十間堀で近くもあり、それに毎日同じ道を取つて學校へ通ひましたから、自然と心易く成りました。『六ちやん』『六ちやん』と言つて學校でも評判な元氣の好い生徒でした。六ちやんが横町を※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つて誘ひに來る朝などは、私は豐田のお婆さんに詰めて貰つた辨當を持つて、一緒に連立つて彌左衞門町の廣
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