ら細い路地を曲つて行くと、鼈甲屋《べつかふや》、時計屋などのある銀座の裏通りの町、そこにある黒い土藏造りの豐田さんの家、鐵格子の箝《はま》つた窓などは、私には既に親しいものでした。私は豐田さんのことを小父さん、隱居さんのことをお婆さんと呼ぶやうに成りました。細君は本來なら小母さんと呼ぶべきでしたが、豐田さんとは大分年も違つて居ましたし、兄でも姉でも斯の人ばかりは豐田の姉さんと言ひましたから、私もそれに倣つて姉さんと呼びました。
例の往來に面した鐵格子の箝つた窓――私に取つては忘れることの出來ない朝に晩に行つた窓――その窓の下にある三疊ばかりの小部屋に私は鷲津さんの家から運んで行つた自分の机を置きました。壁によせて、抽斗《ひきだし》の附いた本箱をも置きました。抽斗の中には上京の折に父が餞別に書いて呉れた座右の銘なぞが入れてあります。稀《たま》には私は幾枚かある其短册を取出して見ます。『温良恭謙讓』と一行に書いたのがあれば『勉強』とか『儉約』とかの文字をいくつも書き並べたのもあります。私は器械的に繰返して見て、寧ろ父の手蹟を見るといふだけに滿足して、復た紙に包んで元の抽斗の中へ藏つて置きました。國許の父からはよく便りがありました。父は村の中の眺望《ながめ》の好い位置を擇んで小さな別莊を造つたとかで、母と共に新築の家の方へ移つたことや、その建物から見える遠近《をちこち》の山々、谷、林のさまなどを書いて寄《よこ》しました。其頃から漸く私も父へ宛てゝ手紙を書くやうに成りました。時には豐田の小父さんがニコ/\しながら私の机の側へ來まして、
『お父さんの許《とこ》へ奈樣《どん》な手紙を書いたか、お見せ。そんなことを隱すもんぢや無い。』
と言ひますから、私が學校の作文でも書くやうに半紙に書きつけた手紙を出して見せますと、小父さんは笑つて、それを奧の方に居るお婆さんや姉さんのところへ持つて行つて讀んで聞かせたりなどしました。『むう、斯の手紙はなか/\好く出來た』なんて小父さんは私を勵ました後で、是處は斯う書けとか、彼處は彼樣《あゝ》直せとか言つて呉れました。道さん――ホラ、お文さんの直ぐ上の兄さん――からもめづらしく便りがありました。私は窓の下にその幼友達の手紙を展げて、何度も/\繰返し讀みました。二年あまり半分夢中で都會に暮して來た私の心は田舍々々した日のあたつた故郷の田圃側の
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