じめて大きな都會の空氣に觸れ、日頃故郷の方でよく噂の出る姉とも一緒に成ることが出來たのです。前にも御話しました通り、姉は私が覺えの無いほど極く幼少《ちひさ》な時分に嫁入した人でした。
田舍者が多勢で押掛けて來た姉の家は、銀座の裏側にあたる閑靜な町の角にあつて、灰色な圓柱の並んだ、古風な煉瓦造りの一つでした。二階には四間ばかりの部屋がありました。その一室《ひとま》の硝子窓《ガラスまど》から町の裏側の屋根だの物干だのの見えるところが私達兄弟の勉強部屋によからうと言はれて、そこで私は銀さんと一緒に新規な机を並べ、夜はその部屋で二人枕を並べて寢ました。田舍に居た頃とは違ひ、こゝでは茶の出る時間も午後と定つて居て、甥と一緒に茶うけの豆せんべいなどを買ひに行き、廣い爐邊でノンキに食事をしつけたものが今度は姉の家の祖母《おばあ》さんや姉夫婦の側にかしこまつて、銀さんと御取膳で食ふことに成りました。
『どうだ、是がオサシミだ。』
と姉に言はれて、私は初めてオサシミといふものを口に入れて見たことを覺えて居ます。姉が馳走振に取つて呉れた新鮮な魚肉よりも、故郷の方で食べ慣れた鹽辛い鮭の方が私の口に適《あ》ひました。一年に一度づゝ年取の晩の膳についた鹽鰤《しほぶり》の味などは私には忘れられないものでした。
その頃の姉はまだ若く見える人で、物の言ひ方なども、ハキ/\として居て、私の知らないことは深切に教へて呉れ、萬事につけて私をいたはつて呉れました。斯の愛情は少年の私には難有いものでした。私の故郷の習慣で、他の朋輩を呼ぶには『わりや』と言ひ、自分のことは奈樣《どん》な目上の人の前でも、『おれ』でしたが、その時都會の少年のやうに言葉遣ひを習ひ、『君』とか『僕』とかいふ言葉も姉からをそはりました。
姉が私の爲に種々と注意をして呉れたことは、次の一例を御話しただけで解らうと思ひます。子供の時分に私はよく鼻液《はな》が出ました。それを兩方の袖口で拭きましたから何時でも私の着物には鼻液が干乾《ひから》び着いて光つて居りました。そればかりでなく、着物の胸のあたりをも汚したものです。姉はそれを見て取つて、私が食事の時に茶碗を胸に當てることは止せと言ひましたが、自然とついた癖は直さうと思つても容易に直りませんでした。何時の間にか私の茶碗は胸のところに當つて居ました。そこで姉は一計を案出しました。四角
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