に切つた鐵葉《ブリキ》の片《きれ》に紐を着けまして、食事の度に私に掛けさせることにしたのです。
『御飯!』
といふ聲を聞くと、私は客があるか無いかを第一に思ひました。姉の家の人達は兎も角も、知らない客の前でブリキを自分の首に掛けるほどキマリの惡いことは有りませんでした。全く、ブリキの前垂には私も弱らせられました。でもその御蔭で、カチリと茶碗の音がする度に自分でも氣が着いて、着物を汚す癖は直つて行きました。
姉の夫といふは背の隆い、立派な威嚴のある人でした。國から出て來て、一時は大藏省の官吏にも成りました。斯の人と兄とは極く親しい間柄で、私のことも親身の弟のやうに見て呉れ、私のために數寄屋河岸にある小學校を選んで呉れました。斯の人は又、鷹揚に腮《あご》を撫でながら私を前に置いて論語の素讀を授けて呉れたり、閑暇《ひま》な時には東京の町々だの公園だのを見せに連れて歩いて呉れました。私は未だに斯の人が當時|流行《はや》つた獵虎《らつこ》の帽子を冠つた紳士らしい風采を覺えて居ます。それから觀兵式の日に連れられて行つて、初めて樽柿といふものを買つて宛行《あてが》はれたことなどを覺えて居ます。その頃のことを思出すと海の見える座敷で海苔の香氣《にほひ》を嗅いだことが私の幼い記憶に浮び揚つて來ます。なんでも其日は姉の家のものが皆な揃つて外出して、私はめづらしい處で一緒に食事をしたやうに思ひますが、それが品川邊の料理屋であつたか何處であつたかは、よく覺えません。唯海苔の香氣の記憶だけ、しかも鼻の先へ匂つて來るやうに殘つて居ます。そんな風にして私は諸方《はう/″\》へ連れられて行きました。
姉夫婦の傍には私は一年あまりしか居りませんでしたが、しかしその間に受けた愛情は少年の私の心に深く刻み着けられました。それからずつと後に成つて、姉の夫の身の上には種々な變化が起り、その行ひには烈しい非難を受けるやうな事もありました。さういふ中でも、猶私が周圍の人のやうには姉の夫を考へて居なかつたといふは、全く斯の少年の時に受けた温い深切の爲で――丁度、それが一點の燈火《ともしび》の如くに私の心の奧に燃えて居たからであります。
素朴な私の田舍の家と違ひ、姉の家にはまた別の空氣がありました。そこの祖母《おばあ》さんは名古屋風の趣味を持つた人で、綺麗に片附けた下座敷へ琴を取出して時々なぐさみに掻鳴しま
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