させて泣きました。婆さんも手の着けやうが無いといふ風で、一層腹を立てまして、復た私を無理やりに背中に乘せ、家の方へ送り返しに來ました。
 斯樣な風で、容易に私の心は解けませんでした。到頭お霜婆の方から私の好きな羊羹を持つて仲直りに來ました。其時私は裏の井戸のところに立つてお牧が水を汲むのを見て居りましたが、お霜婆の仲直りに來たことを聞いて、お牧に隨いて母屋の方へ行きました。斯の婆さんと以前のやうに口を利くやうに成る迄には、大分私には骨が折れました。

        四

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『もし/\龜よ、龜さんよ、
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世界のうちにお前ほど、
歩みの遲鈍《のろ》いものは無い――』
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 無邪氣な唱歌が私の周圍《まはり》に起りました。私は二人の子供を側へ呼びまして、
『さあ、お前達は二人とも龜だよ。父さんが兎に成るから。』
『父さんが兎?』と兄の子供は念を押すやうに私の顏を覗き込みました。
『アヽ、龜と兎と馳けくらべをしよう。いゝかい、お前達は龜だから、そこいらを歩いて居なくちやいけない。』
 お伽話の世界の方へ直に子供等は入つて行きました。二人とも龜にでも成つた氣で、揃つて手を振りながら部屋の内を歩き※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りました。
『龜さんはもう出掛けたか。どうせ晩まで掛るだらう……』
 と私は子供等に聞えるやうに言つて、『こゝらで一寸、一眠りやるか……』
 私が横に成つて、グウ/\鼾をかく眞似をすると、子供等は驚喜したやうに笑ひ乍ら、私の周圍《まはり》を※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つて居りました。そのうちに、私は半ば身を起して、大欠《おほあく》びしたり兩手を延ばしたりして、眠から覺めたやうに四邊《あたり》を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]しました。
『ヤ、これは寢過ぎた……』
 と私は失策《しくじ》つたやうに言へば、子供等は眼を圓くして、急いで床の間の隅に隱れました。私は龜の在所《ありか》を尋ね顏に、わざ/\箪笥の方へ行つて見たり、長火鉢の側を※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つたりしました。
『兎さん、こゝよ。』
 と子供等が手を打つのを、私は聞えない振をして、幾※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りか※[#「え
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