た。
 「とうさんがそんなことを言ったって、みんながそうだからしかたがない。」と、三郎も笑いながら食った。
 「そう言えば、次郎ちゃんも一年に二度ぐらいずつは東京へ出ておいでよ。なにも田舎《いなか》に引っ込みきりと考えなくてもいいよ。二三年は旅だと思ってごらんな。とうさんなぞも旅をするたびに自分の道が開けて来た。田舎へ行くと、友だちはすくなかろうなあ。ことに画《え》のほうの友だちが――それだけがとうさんの気がかりだ。」
 こう私が言うと、今まで子供の友だちのようにして暮らして来たお徳も長い奉公を思い出し顔に、
 「次郎ちゃんが行ってしまうと、急にさびしくなりましょうねえ。人を送るのもいいが、わたしはあとがいやです。」
 と、給仕《きゅうじ》しながら言った。
 「あゝ、食った。食った。」
 間もなくその声が子供らの間に起こった。三郎は口をふいて、そこにある箪笥《たんす》を背に足を投げ出した。次郎は床柱《とこばしら》のほうへ寄って、自分で装置したラジオの受話器を耳にあてがった。細いアンテナの線を通して伝わって来る都会の声も、その音楽も、当分は耳にすることのできないかのように。
 その晩は、
前へ 次へ
全82ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング