から先生の奥さんも、御飯を一緒に食べて行けと言ってしきりに勧めてくだすったが、僕は帰って来た。」
先輩の一言一行も忘れられないかのように、次郎はそれを私に語ってみせた。
いよいよ次郎の家を離れて行く日も近づいた。次郎はその日を茶の間の縁先にある黒板の上に記《しる》しつけて見て、なんとなくなごりが惜しまるるというふうであった。やがて、荷造りまでもできた。この都会から田舎へ帰って行く子を送る前の一日だけが残った。
「どっこいしょ。」
私がそれをやるのに不思議はないが、まだ若いさかりのお徳がそれをやった。お徳も私の家に長く奉公しているうちに、そんなことが自然と口に出るほど、いつのまにか私の癖に染まったと見える。
このお徳は茶の間と台所の間を往《い》ったり来たりして、次郎の「送別会」のしたくを始めた。そういうお徳自身も遠からず暇を取って、代わりの女中のあり次第に国もとのほうへ帰ろうとしていた。
「旦那《だんな》さん、お肴屋《さかなや》さんがまいりました。旦那さんの分だけ何か取りましょうか。次郎ちゃんたちはライス・カレエがいいそうですよ。」
「ライス・カレエの送別会か。どうしてあん
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