姿をまだ御覧になりませんか、なかなかようござんすよ。」と、私に言ってみせたことを思い出した。「おもしろい話もあります。太郎さんがまだ笹刈《ささが》りにも慣れない時分のことです。笹刈りと言えばこの土地でも骨の折れる仕事ですからね。あの笹刈りがあるために、他《よそ》からこの土地へおよめに来手《きて》がないと言われるくらい骨の折れる仕事ですからね。太郎さんもみんなと一緒に、威勢よくその笹刈りに出かけて行ったはよかったが、腰をさがして見ると、鎌《かま》を忘れた。大笑いしましたよ。それでも村の若い者がみんなで寄って、太郎さんに刈ってあげたそうですがね。どうして、この節の太郎さんはもうそんなことはありません。」と、その校長さんの言ったことを思い出した。そう言えば、あの村の二三の家の軒先に刈り乾《ほ》してあった笹《ささ》の葉はまだ私の目にある。あれを刈りに行くものは、腰に火縄《ひなわ》を提《さ》げ、それを蚊遣《かや》りの代わりとし、襲い来る無数の藪蚊《やぶか》と戦いながら、高い崖《がけ》の上に生《は》えているのを下から刈り取って来るという。あれは熊笹《くまざさ》というやつか。見たばかりでも恐ろしげに
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