たり》だけをそこから学校へ通わせた。食事のたびには宿の女中がチャブ台などを提《さ》げながら、母屋《おもや》の台所のほうから長い廊下づたいに、私たちの部屋までしたくをしに来てくれた。そこは地方から上京するなじみの客をおもに相手としているような家で、入れかわり立ちかわり滞在する客も多い中に、子供を連れながら宿屋ずまいする私のようなものもめずらしいと言われた。
 外国の旅の経験から、私も簡単な下宿生活に慣れて来た。それを私は愛宕下《あたごした》の宿屋に応用したのだ。自分の身のまわりのことはなるべく人手を借りずに。そればかりでなく、子供にあてがう菓子も自分で町へ買いに出たし、子供の着物も自分で畳《たた》んだ。
 この私たちには、いつのまにか、いろいろな隠し言葉もできた。
 「あゝ、また太郎さんが泣いちゃった。」
 私はよくそれを言った。少年の時分にはありがちなことながら、とかく兄のほうは「泣き」やすかったから、夜中に一度ずつは自分で目をさまして、そこに眠っている太郎を呼び起こした。子供の「泣いたもの」の始末にも人知れず心を苦しめた。そんなことで顔を紅《あか》めさせるでもあるまいと思ったから。

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