みやげ物をあつめに銀座へんを歩き回って来るだけでも、額《ひたい》から汗の出る思いをした。暮れからずっと続けている薬を旅の鞄《かばん》に納めることも忘れてはならなかった。私は同伴する人たちのことを思い、ようやく回復したばかりのような自分の健康のことも気づかわれて、途中|下諏訪《しもすわ》の宿屋あたりで疲れを休めて行こうと考えた。やがて、四月の十三日という日が来た。いざ旅となれば、私も遠い外国を遍歴して来たことのある気軽な自分に帰った。古い鞄《かばん》も、古い洋服も、まだそのまま役に立った。連れて行く娘のしたくもできた。そこで出かけた。
 この旅には私はいろいろな望みを掛けて行った。長いしたくと親子の協力とからできたような新しい農家を見る事もその一つであった。七年の月日の間に数えるほどしか離れられてなかった今の住居《すまい》から離れ、あの恵那《えな》山の見えるような静かな田舎《いなか》に身を置いて、深いため息でも吐《つ》いて来たいと思う事もその一つであった。私のそばには、三十年ぶりで郷里を見に行くという年老いた嫂《あによめ》もいた。姪《めい》が連れていたのはまだ乳離《ちばな》れもしないほど
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