をひろげていた。そこへ三郎が研究所から帰って来た。
「あ――一太。」
三郎はすぐにそれへ目をつけた。読みさしの新聞を妹やお徳の前に投げ出すようにして言った。
「こんな、罪もない子供までも殺す必要がどこにあるだろう――」
その時の三郎の調子には、子供とも思えないような力があった。
しかし、これほどの熱狂もいつのまにか三郎の内を通り過ぎて行った。伸び行くさかりの子供は、一つところにとどまろうとしていなかった。どんどんきのうのことを捨てて行った。
「オヤ――三ちゃんの『早川賢』もどうしたろう。」
と、ふと私が気づいたころは、あれほど一時大騒ぎした人の名も忘れられて、それが「木下《きのした》繁《しげる》、木下繁」に変わっていた。木下繁ももはや故人だが、一時は研究所あたりに集まる青年美術家の憧憬《どうけい》の的《まと》となった画家で、みんなから早い病死を惜しまれた人だ。
その時になって見ると、新しいものを求めて熱狂するような三郎の気質が、なんとなく私の胸にまとまって浮かんで来た。どうしてこの子がこんなに大騒ぎをやるかというに――早川賢にしても、木下繁にしても――彼らがみんな新しい
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