筍《たけのこ》のような勢いでずんずん成長して来た次郎や、三郎や、それから末子をよく見て、時にはこれが自分の子供かと心に驚くことさえもある。
 私たち親子のものは、遠からず今の住居《すまい》を見捨てようとしている時であった。こんなにみんな大きくなって、めいめい一部屋《ひとへや》ずつを要求するほど一人前《いちにんまえ》に近い心持ちを抱《いだ》くようになってみると、何かにつけて今の住居《すまい》は狭苦《せまぐる》しかった。私は二階の二部屋を次郎と三郎にあてがい(この兄弟《きょうだい》は二人《ふたり》ともある洋画研究所の研究生であったから、)末子は階下にある茶の間の片すみで我慢させ、自分は玄関|側《わき》の四畳半にこもって、そこを書斎とも応接間とも寝部屋《ねべや》ともしてきた。今一部屋もあったらと、私たちは言い暮らしてきた。それに、二階は明るいようでも西日が強く照りつけて、夏なぞは耐えがたい。南と北とを小高い石垣《いしがき》にふさがれた位置にある今の住居《すまい》では湿気の多い窪地《くぼち》にでも住んでいるようで、雨でも来る日には茶の間の障子《しょうじ》はことに暗かった。
 「ここの家には飽き
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