て植木坂の上に出られる。私たちは宿屋の離れ座敷にあった古い本箱や机や箪笥《たんす》なぞを荷車に載せ、相前後して今の住居《すまい》に引き移って来たのである。
今の住所へは私も多くの望みをかけて移って来た。婆《ばあ》やを一人《ひとり》雇い入れることにしたのもその時だ。太郎はすでに中学の制服を着る年ごろであったから、すこし遠くても電車で私の母校のほうへ通わせ、次郎と末子の二人《ふたり》を愛宕下の学校まで毎日歩いて通わせた。そのころの私は二階の部屋《へや》に陣取って、階下を子供らと婆やにあてがった。
しばらくするうちに、私は二階の障子のそばで自分の机の前にすわりながらでも、階下に起こるいろいろな物音や、話し声や、客のおとずれや、子供らの笑う声までを手に取るように知るようになった。それもそのはずだ。餌《えさ》を拾う雄鶏《おんどり》の役目と、羽翅《はね》をひろげて雛《ひな》を隠す母鶏《ははどり》の役目とを兼ねなければならなかったような私であったから。
どうかすると、末子のすすり泣く声が階下から伝わって来る。それを聞きつけるたびに、私はしかけた仕事を捨てて、梯子段《はしごだん》を駆け降りるよ
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