に、私は末子をもその宿屋に迎えるようになった。私は額《ひたい》に汗する思いで、末子を迎えた。
 「二人育てるも、三人育てるも、世話する身には同じことだ。」
 と、私も考え直した。長いこと親戚《しんせき》のほうに預けてあった娘が学齢に達するほど成人して、また親のふところに帰って来たということは、私に取っての新しいよろこびでもあった。そのころの末子はまだ人に髪を結ってもらって、お手玉や千代紙に余念もないほどの小娘であった。宿屋の庭のままごとに、松葉を魚《さかな》の形につなぐことなぞは、ことにその幼い心を楽しませた。兄たちの学校も近かったから、海老茶色《えびちゃいろ》の小娘らしい袴《はかま》に学校用の鞄《かばん》で、末子をもその宿屋から通わせた。にわかに夕立でも来そうな空の日には、私は娘の雨傘《あまがさ》を小わきにかかえて、それを学校まで届けに行くことを忘れなかった。
 私たち親子のものは、足掛け二年ばかりの宿屋ずまいのあとで、そこを引き揚げることにした。愛宕下《あたごした》から今の住居《すまい》のあるところまでは、歩いてもそう遠くない。電車の線路に添うて長い榎坂《えのきざか》を越せば、やが
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