かたがない。」
と、次郎は沈思するように答えて、ややしばらく物も言わずに、私のそばを離れずにいた。
四月にはいって、私は郷里のほうに太郎の新しい家を見に行く心じたくを始めていた。いよいよ次郎も私の勧めをいれ、都会を去ろうとする決心がついたので、この子を郷里へ送る前に、私は一足先に出かけて行って来たいと思った。留守中のことは次郎に預けて行きたいと思う心もあった。日ごろ家にばかり引きこもりがちの私が、こんな気分のいい日を迎えたことは、家のものをよろこばせた。
「ちょっと三人で、じゃんけんしてみておくれ。」
と、私は自分の部屋《へや》から声を掛けた。気候はまだ春の寒さを繰り返していたころなので、子供らは茶の間の火鉢《ひばち》の周囲に集まっていた。
「オイ、じゃんけんだとよ。」
何かよい事でも期待するように、次郎は弟や妹を催促した。火鉢の周囲には三人の笑い声が起こった。
「だれだい、負けた人は。」
「僕だ。」と答えるのは三郎だ。「じゃんけんというと、いつでも僕が貧乏くじだ。」
「さあ、負けた人は、郵便箱を見て来て。」と、私が言った。「もう太郎さんからなんとか言って来てもいいころだ。」
「なあんだ、郵便か。」
と、三郎は頭をかきかき、古い時計のかかった柱から鍵《かぎ》をはずして路地《ろじ》の石段の上まで見に出かけた。
郷里のほうからのたよりがそれほど待たれる時であった。この旅には私は末子を連れて行こうとしていたばかりでなく、青山の親戚《しんせき》が嫂《あによめ》に姪《めい》に姪の子供に三人までも同行したいという相談を受けていたので、いろいろ打ち合わせをして置く必要もあったからで。待ち受けた太郎からのはがきを受け取って見ると、四月の十五日ごろに来てくれるのがいちばん都合がいい、それより早過ぎてもおそ過ぎてもいけない、まだ壁の上塗《うわぬ》りもすっかりできていないし、月の末になるとまた農家はいそがしくなるからとしてあった。
「次郎ちゃん、とうさんが行って太郎さんともよく相談して来るよ。それまでお前は東京に待っておいで。」
「太郎さんのところからも賛成だと言って来ている。ほんとに僕がその気なら、一緒にやりたいと言って来ている。」
「そうサ。お前が行けば太郎さんも心強かろうからナ。」
私は次郎とこんな言葉をかわした。
久しぶりで郷里を見に行く私は、みやげ物をあつめに銀座へんを歩き回って来るだけでも、額《ひたい》から汗の出る思いをした。暮れからずっと続けている薬を旅の鞄《かばん》に納めることも忘れてはならなかった。私は同伴する人たちのことを思い、ようやく回復したばかりのような自分の健康のことも気づかわれて、途中|下諏訪《しもすわ》の宿屋あたりで疲れを休めて行こうと考えた。やがて、四月の十三日という日が来た。いざ旅となれば、私も遠い外国を遍歴して来たことのある気軽な自分に帰った。古い鞄《かばん》も、古い洋服も、まだそのまま役に立った。連れて行く娘のしたくもできた。そこで出かけた。
この旅には私はいろいろな望みを掛けて行った。長いしたくと親子の協力とからできたような新しい農家を見る事もその一つであった。七年の月日の間に数えるほどしか離れられてなかった今の住居《すまい》から離れ、あの恵那《えな》山の見えるような静かな田舎《いなか》に身を置いて、深いため息でも吐《つ》いて来たいと思う事もその一つであった。私のそばには、三十年ぶりで郷里を見に行くという年老いた嫂《あによめ》もいた。姪《めい》が連れていたのはまだ乳離《ちばな》れもしないほどの男の子であったが、すぐに末子に慣れて、汽車の中で抱かれたりその膝《ひざ》に乗ったりした。それほど私の娘も子供好きだ。その子は時々末子のそばを離れて、母のふところをさぐりに行った。
「叔父《おじ》さん、ごめんなさいよ。」
と言って、姪《めい》は幾人もの子供を生んだことのある乳房《ちぶさ》を小さなものにふくませながら話した。そんなにこの人は気の置けない道づれだ。
「そう言えば、太郎さんの家でも、屋号をつけたよ。」と、私は姪に言ってみせた。「みんなで相談して田舎《いなか》風に『よもぎや』とつけた。それを『蓬屋』と書いたものか、『四方木屋』と書いたものかと言うんで、いろいろな説が出たよ。」
「そりゃ、『蓬屋』と書くよりも、『四方木屋』と書いたほうがおもしろいでしょう。いかにも山家《やまが》らしくて。」
こんな話も旅らしかった。
甲府《こうふ》まで乗り、富士見《ふじみ》まで乗って行くうちに、私たちは山の上に残っている激しい冬を感じて来た。下諏訪《しもすわ》の宿へ行って日が暮れた時は、私は連れのために真綿《まわた》を取り寄せて着せ、またあくる日の旅を続けようと思うほど寒かった。――そ
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