各自《めいめい》思い思いに歩き始めた時であった。たまに訪ねて行くと、奥の方の小さい、薄暗いような部屋に這入っていて、「滅多に人にも会わないのだが、君等だから会うのだ」と云って、突いて癒った咽喉《のど》の傷などを、出して見せた。「何しろどうもこの傷の跡があるんだからね」なぞと云って、頻《しき》りにその傷の跡を気にしていた。戸川君と一緒に訪ねた時には、何でもエマルソンの本が出来た時で、細君が民友社から届いた本を持って来て、私に見せたが、北村君はその本を手に取って見たという位で、中を開けて見る気も無いという風であった。細君はもう夜中も、夫の様子に注意するという風になって、非常に気を付けて看護をしたのであったが、丁度五月十六日の晩の月夜に、自分の病室を脱け出して、家の周囲《まわり》にある樹に細引を掛けて、それに縊《くび》れて二十七歳で死んだ。その素質に於いては稀《まれ》に見る詩人であり、思想家であった、北村君の惜む可き一生は斯うして終った。
北村君は明治元年に小田原で生れた人だ。阿父《おとう》さんは小田原の士族であった。まだ小さな時分に、両親は北村君を祖父母の手に託して置いて、東京に出た。北
前へ
次へ
全19ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング