坐って、頑張っていようという人だから、北村君の苛々《いらいら》した所は、阿母さんには喜ばれなかった。暫《しばら》く病んでいた後で、北村君が自殺を企てた当時の心境は、私は『春』の中でいくらか辿《たど》って見た。それを家の人に見付かって、病院へ送られて、兎に角傷は癒った。細君も心配して、も一度芝公園の家を借りて、それには友達ながらも種々心配して呉《くれ》た人があって、其処で養生した。丁度彼れ是れ半年近くも、あの公園の家で暮したろうか。もう余程違った頭脳《あたま》の具合だったから、なるべく人にも会わなかったし、細君も亦客なぞ断るという風であった。二度目に其処へ移ってからは、もう殆んど筆を執るような人ではなかった。巌本君が心配して、押川方義氏を連れて、一度公園の家を訪ねて、宗教事業にでも携わったらどうか、という話をしたという事を聞いたが、後で私が訪ねて行くと、「巌本君達が来て、宗教の話をして呉れたが、どうしても僕には信じるという心が起らないからね」と、そんな風に話した事もあった。北村君もそんな風になった以上は仕方が無いし、吾々は吾々で、又更に新しく進んで見ようという心持になって、文学界の連中は
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