心も破れて――北村君自身の言葉で言えば「功名心の梯子《はしご》から落ちて」――そうして急激な勢で文学の方へ出て来るようになったのである。北村君は石坂昌孝氏の娘に方《あた》る、みな子さんを娶《めと》って、二十五歳(?)の時には早や愛児のふさ子さんが生れて居た。(斯の早婚は種々な意味で北村君の一生に深い影響を及ぼした。)北村君は思い詰めているような人ではあったが、一方には又磊落な、飄逸《ひょういつ》な処があって、皮肉も云えば、冗談も云って、友達を笑わすような、面白い処もあった。前に出版した透谷集の方には写真を出し、後に出した透谷全集には弟の丸山君の書いた肖像画を出したのであるが、北村君をよく現わすようなものが、残っていないのは残念である。北村君は大変声の涼しいような人で、私は北村君の事を思い出す度に、種々な書いたものを読んで聞かせたり、その時々に話したりした声が、今だに耳についているような気がする。晩年には服装《なり》なぞも余り構わなかったし、身体は何方《どちら》かと云えば痩せぎすな、少し肩の怒った人で、髪なぞは長くしていた。北村君の容貌の中で一番忘れられないのは、そのさもパッションに燃えているような、そして又考え深い眼であった。
 明治年代に記憶すべき、大きな出来事の一つは、士族の階級の滅亡である。その階級が有《も》てる凡《すべ》てのものの滅びて行ったことである。その士族の子孫の中から北村君のような物を考える人が生れて来たということは私には偶然では無いように思われる。猶《なお》、新時代の先駆者たりし北村君に就いては、話したいと思うことは多くあるが、ここにはその短い生涯の一瞥《いちべつ》にとどめておく。
[#地から1字上げ](大正二年四月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「文章世界」
   1912(大正1)年10月
※初出情報は「藤村全集第6巻」(筑摩書房)に拠った。
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2004年10月31日作成
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