を西へ急いで来る時の彼女の胸を往《い》ったり来たりした。彼女はお槇《まき》が代筆した母お民からの手紙でも読み、弟宗太も西|筑摩《ちくま》郡書記の身でそう馬籠での長逗留《ながとうりゅう》は許されないとあって、木曾福島の勤め先へ引き返した時のじきじきの話にも聞いて、ほぼ父のようすを知っていた。五人ある姉弟《きょうだい》の中でも、彼女は父のそばに一番長く暮らして見たし、父の感化を受けることも一番多かったから、父のさびしさも彼女にはよくわかった。彼女は父のことを考えるたびに、歩きながらでもときどき涙ぐましくなることがあった。
 三留野《みどの》泊まりで、お粂は妻籠《つまご》に近づいた。ちょうどその村の入り口に当たる木曾川のほとりに一軒の休み茶屋が見えるところまで行くと、賤母《しずも》の森林地帯に沿うて河《かわ》づたいに新しい県道を開鑿《かいさく》しようとする工事も始まっているころであった。遠くの方で岩壁を爆破させる火薬の音は山々谷々に響き渡った。旧《ふる》い街道筋をも変えずには置かないようなその岩石の裂ける音は恐ろしげにお粂の耳を打つ。その時、木曾風俗の軽袗《かるさん》ばきでお粂らの方へ河岸を走って来る二人《ふたり》づれの旦那衆がある。見ると二人とも跣足《はだし》で土を踏んでいる。両手を振りながら歓呼をもあげている。その一人が伯父《おじ》の寿平次だった。長い痔疾《じしつ》の全治した喜びのあまりに、同病|相憐《あいあわれ》んで来た伯父たちは夢中になって河岸をかけ回り、互いに祝意を表し合っているというところだった。
 お粂と供の手代が着いたのを見ると、寿平次は長い病苦も忘れたように両手をひろげて見せ、大事な入れ歯も吹き出さないばかりに笑って、付近の休み茶屋の方へお粂らを誘った。
「お粂はこれから馬籠へ行く人か。お前も御苦労さまだ。まあ、おれの家へ寄って休んで行くさ。」
「伯父さん、宗太も福島の方へ戻《もど》ってまいりましてね、馬籠のお父《とっ》さんのことはいろいろ彼《あれ》から聞きましたよ。」
「そうかい。宗太は吾家《うち》へも寄って行った。正己《まさみ》もね、あれからずっと朝鮮の方だが、おれの出した手紙を見たら彼《あれ》も驚くだろう。二、三日前に、おれも半蔵さんの見舞いに行って来た。」
「なんですか、伯父さんの御覧なすったところじゃ、お父さんのようすはどんなでしょうか。」
「それがね、もうすこし模様を見ないと、おれにはなんとも言えん。ホイ、おれはこんなおもしろい格好で話ばかりしていて、まだ足も洗わなかった。お粂、お前はそこに腰掛けていておくれ。」
 寿平次は勝手を知った休み茶屋の奥の方へ足を洗いに行った。やがて下駄《げた》ばきになって、お粂らのいるところへ戻《もど》って来て、
「やれやれ、おれもこれで活《い》き返ったというものだ。きょうは久しぶりで木曾の山猿《やまざる》に帰った。お前のお母《っか》さん(お民)もあれで痔持ちだが、このおれの清々《せいせい》したこころもちを分けてやりたいようだ。どうも痔持ちというやつは、自分ながらむつかしい顔ばかりしていて、養子(正己のこと)にはきらわれどおしさ。」
 こんなことを言って戯れる寿平次も、お粂らと連れだって休み茶屋を離れるころはしんみりとした調子になる。その位置から寿平次の家族が住む妻籠の町まではまだ数町ほどの距離にある。大河の勢いで奥筋の方角から流れて来ている木曾川にも別れて、山や丘の多い地勢を次第に登るようになるのも、妻籠からである。
 寿平次は言った。
「まったく、半蔵さんがあんなことになろうとはだれも思わなかった。一寸先のことはわからんね。あれで医者から見ると、気の違った人というものはいくらこちらから呼びかけても反応のないようなものだそうだね。世離れたもの――医者にはそういう感じがするそうだね。そうだろうなあ、全く世の中とは交渉がなくなってしまうからなあ。医者がああいう患者を置いて来るのは、墓場に置いて来るような気がするという話だが、それが本当のところだろうね。」


 父のことが心にかかって、お粂はそう長いこと妻籠の伯父の家にも時を送らなかった。三、四年ぶりで彼女は妻籠から馬籠への峠道を踏んだ。そこは同じ旧《ふる》い街道筋ではあるが、白木《しらき》の番所の跡があるような深い森林の間で、場処によっては追剥《おいはぎ》の出たといううわさの残った寂しいところをも通り過ぎなければ、馬籠峠の上に出られない。けれども木曾山らしいのもまたその峠道で、行く先に栗《くり》の多い林なぞがお粂にいろいろなことを思い出させた。旦那《だんな》が木曾福島への帰参のかなったころ、彼女は旦那と共に植松の旧い家の方で一度父半蔵を迎えたこともある。彼女はその時の父がいっぱいにねじ込んだ書物でその懐《ふところ》をふくらませながら訪《たず》ねて来たことを覚えている。あれからの彼女は旦那を助けて家を整理するかたわら、日夜|兄妹《きょうだい》二人《ふたり》の子供の養育に心を砕いたが、その兄の方の子がもはや数え歳《どし》の十二にもなった。朝に晩に彼女の言い暮らしたのは、これまで丹精《たんせい》して来た植松の家にゆっくり父を迎えたいことであった。今となっては残念ながらそれもかなわない。五十余年の涙の多い生涯《しょうがい》を送った父が最後に行きついたところは、そんな座敷牢《ざしきろう》であるかと思うと、彼女は何かこう自分の内にもある親譲りのさわりたくないものに否《いや》でも応でもさわるような気がして、その心から言いあらわしがたい恐怖を誘われた。
 馬籠にある彼女の生家《さと》も変わった。彼女は旧《ふる》い屋敷の内の裏二階まで行って、久しぶりで祖母のおまんや嫂《あによめ》のお槇《まき》と一緒になることができた。父の看護に余念のないという母お民も、彼女の着いたことを聞いて、木小屋の方から飛んでやって来た。ちょうど父はよく眠っているところだと言って、木小屋に働いている下男佐吉に気をつけてもらうよう言い置いて来たと語り聞かせるのもお民だ。父の病室が造られる前後の騒ぎの夢のようであったことから、村の人がそれぞれ手分けをして看護に来てくれるというのは、これもお師匠さまと言われた徳であろうかと語り聞かせるのもまたお民だ。お粂の見舞いに来たことは、だれよりもこの母を力づけた。というのは、おまんもすでに七十八歳の老婦人ではあるが、日ごろから思ったことを口にするような人ではないから、半蔵の乱心についてはどうあさましく考えているやも測りがたく、お槇はまた前掛けをかけたぐらいでは隠し切れないほどの身重になっていて、肩で息をしているような人にそう働かせることもならないからであった。そういう中で、半蔵を看護するお民の苦心も一通りではなかった。
 お民は娘に言った。
「でも、お粂、あれでお父《とっ》さんもそうあばれるようなことはなさらない。最初のうちは村の衆も心配して、二人ぐらいずつ交代で夜も昼も詰め切りに詰めていましたよ。この節だって、お前、毎日のようにだれかしら来てはくれますがね、最初のうちのようなことはなくなりました。お父《とっ》さんは本を入れてくれろというから、入れてあげると、半日すわって読んでいて、口もおききなさらないことがある。」
「まあ、半蔵さんがあんなことになろうとはだれも思わなかったッて、妻籠の伯父《おじ》さんもそう言っておいででした。お酒がすこしいき過ぎましたねえ。」
 とお粂も答えて、母と共に嘆息した。
 隣家伏見屋の酒店に番頭格として働いている清助がそこへ顔を見せた。新酒売り出しのころにもかかわらず、昔を忘れない清助はそのいそがしいなかにわずかの間を見つけ、裏づたいに酒蔵を回っては青山方の木小屋へ見回りに来る。お粂の着いたことも清助は佐吉から聞いて来たという。
「いやはや、今度という今度はわたしも弱りました。粂さまは何も御存じないでしょうが、亀屋《かめや》(栄吉のこと)と二人で憎まれ役でさ。お師匠さまにはあの隠宅もありますし、これがただの気鬱症《きうつしょう》か何かなら、だれもあんな暗いところへお師匠さまを入れたかありません。お寺へ火をつけるようなことがあったものですから、それから大《おお》やかまし。おまけに、ちょうど馬籠の祭礼の最中で、皆あわててしまいましたわい。」
 清助は清助らしいことをかき口説《くど》いた。薬の力で父がぐっすり眠っているという間、お粂は裏二階に足を休めたが、やがて母や清助に伴われながら木小屋の方への降り口にある深い井戸について、土蔵のそばの石段を降りた。


 北と西は木戸だ。三棟《みむね》ある建物のうしろには竹の大藪《おおやぶ》がめぐらしてあって、東南の方角にあたる石垣《いしがき》の上には母屋《もや》の屋根が見上げるほど高い位置にある。これが馬籠旧本陣の裏側にあたるところで、石垣のすぐ下に掘ってある池も深い。武家と公役との宿泊や休息の場処に当てられた昔は、いざと言えば裏口へ抜けられる後方の設備の用心深さを語るかのような、古い陣屋風の意匠がそこに残っている。
 三棟ある建物のうち、その二棟は米倉として使用し来たったところであり、それに連なる一棟が木小屋である。小屋とは言いながら、そこは二階建ての古い建物で、間口も広く造ってある。中央の土間もかなり広く取ってある。下男の佐吉が長いこと自分の世界として働いて来たのもそこで、山から背負って来る薪《まき》、松葉の類は皆その小屋に積まれ、藁《わら》もそこにたくわえられた。父半蔵の座敷牢はそんな竹の大藪を背後《うしろ》にしたところに隠れていた。
 お粂は母と共に、清助が隣家の方へ裏づたいに帰って行くのにも別れ、小屋の入り口に鎌《かま》を研《と》いでいた佐吉にも声をかけて置いて、まず付き添いのもののいる別室の方に父が目をさますまで待った。持って生まれた濃情が半蔵のからだからこんな気の鬱《うっ》する病を引き出したのか、あるいは病ゆえにこんなに人恋しく思うのであるか、いずれともお民には言えないとのことであったが、彼女は夫が遠く離れている子にもしきりにあいたがって、東京の和助のうわさの出ない日もないことなぞを娘に語り聞かせる。お民はまた、この木小屋に移ってからの半蔵に部屋のなかを人知れず歩き回る癖のついたことを言って、あちこち、あちこちと往《い》ったり来たりする夫の姿を見かけるのは実に気の毒だと語るから、それは父の運動不足からであろうとお粂が母に答えて見せた。そのうちに裏の竹藪へ来る風の音にでも目をさましたかして、半蔵の呼ぶ声がする。お粂は母について父の臥《ね》たり起きたりする部屋にはいった。親子のものが久しぶりでの対面はその座敷牢の内であった。
 その時、お粂は考えて、言葉にも挙動にもなるべく父を病人扱いにしないようにした。それが半蔵の心をよろこばせた。彼は物憂《ものう》い幽閉の身を忘れたかのように、お民やお粂に向かって何か物を書いて見たいと言い、筆紙の類《たぐい》を入れてくれと頼んだ。
「それがいい。」とお粂も言った。「何か書いてごらんなさるがいい。紙や筆ぐらいは入れてあげますよ。お父《とっ》さんの気が晴れるようになさるのが何よりですからね。」
 お粂は人手を借りるまでもなく、自分自身に父の頼むものを整えようとして木小屋を出た。彼女は祖母たちのいる裏二階へ行ってそのことを話して見ると、そういうたぐいのものは皆隠宅(静《しず》の屋《や》)の方にしまい込んであった。その足で彼女は隣家の伏見屋まで頼みに行って、父の気に入りそうな紙の類を分けてもらうことにした。伏見屋には未亡人《みぼうじん》のお富《とみ》がある。この人は先代伊之助が生前に愛用したという形見の筆なぞをも探《さが》し出して貸してくれたので、お粂はそれらの筆紙を小脇《こわき》にかかえながら木小屋へ引き返して来た。硯《すずり》や墨は裏二階にあるもので間に合わせた。彼女は父のためにその墨を磨《す》って、次第に濃くなって行く墨のにおいをかぎながら、多くの楽しい日を父と共に送った娘の昔をお民のそばに思い出していた。
 
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