思ったくらい苦しかった。ほんとに、冗談じゃない。いろはにほへとと同じことを枕《まくら》の上で繰り返して見たり、一二三四と何べんとなく数えて見たりして、どうかしておれは眠りたいと思った。そのうちに眠られた。もうあんなことは懲り懲りした。ここまで来ないと、酒はやめられないものかもしれないナ。」
「そりゃ、あなた、できればここでふッつりお断ちなさるがいい。そう思って、わたしはもうお酒の道具を片づけてしまいましたよ。」
「まあ、晩酌《ばんしゃく》に五勺ばかりやって見たところでまるで、雀《すずめ》が水を浴びるようなものさ。なかなか節酒ということが行なわれるもんじゃない。飲むなら飲む、飲まないなら全く飲まない――この二つだ。」
九月の来るころまで、とにもかくにも半蔵の禁酒が続いた。その一夏の間、静の屋の二階からは澄んだ笛の音が屋外《そと》までもれてよく聞こえた。ひとりいる時の半蔵が吹き鳴らした音だ。木曾特有な深い緑の憂鬱《ゆううつ》が谷や林の間を暗くしたころに、思い屈した彼の胸からは次ぎのような言葉もほとばしり流れて来た。
[#ここから1字下げ]
思[#レ]国、思[#レ]君、思[#レ]家、思[#レ]郷、思[#レ]親、思[#二]朋友妻子親族[#一]。百思千慮胸中鬱結不[#レ]勝[#二]憂嘆[#一]。起望[#二]西南諸峯[#一]。山蒼々。壑悠々。皆各有[#二]自得之趣[#一]。頼[#二]斯観[#一]以得[#レ]慰。彼百憂者、真天公之錫也哉。
[#ここから2字下げ]
思ひ草しげき夏野に置く露の千々《ちぢ》にこころをくだくころかな
[#ここで字下げ終わり]
半蔵ももはや五十六歳だ。人がその年ごろにもなれば、顔の形からして変わらないものもまれである。一人《ひとり》の人の中に二人ぐらいの人の住んでいない場合もまれである。半蔵とてもそのとおり、彼の中に住む二人の人は入れかわり立ちかわり動いて出て来るようになった。あの森夫がまだ上京しない前、お民はいたずらのはげしい森夫にあきれて本家の表玄関のところに子をねじ伏せ、懲らしめのために灸《きゅう》をすえると言い出し、その加勢にお槇《まき》を呼んで、お槇お前も手伝っておくれ、この子の足を押えていておくれと言った時、じたばたもがき苦しむ子のすがたを見ていられなくて、灸をすえることを許してやってくれとお民に頼んだ人も彼であるし、かつて宗太を責めたことのない彼が扇子を取り出して子の面《かお》を打ち励まそうとまでした人も彼である。ある時は静の屋に隠れていて、静かに見れば物皆自得すと言った古人の言葉を味わおうと思い、ある時は平田篤胤没後の門人がこんなことでいいのかと考え、まだ革新が足りないのだ、破壊も足りないのだと考えるのも、その同じ彼だ。
やがて残った暑さの中にも秋気が通って来て、朝夕はそこいらの石垣《いしがき》や草土手で鳴く蟋蟀《こおろぎ》の声を聞くようになった。ある夜の明けがた、半蔵は隠宅の下座敷にお民と枕《まくら》をならべていて不思議な心地《ここち》をたどった。その時の彼は妻にも見られないように家を抜けて、こっそり町へ酒を買いに出た人である。大戸がある。潜《くぐ》り戸《ど》がある。杉《すぎ》の葉の円《まる》く束にしたのが街道に添うた軒先にかかっている。戸をたたくと内には人が起きていて、彼のために潜り戸をあけてくれる。そこは伏見屋の店先で、二代目伊之助がみずから樽《たる》の前に立ち、飲み口の栓《せん》を抜いて、流れ出る酒を桝《ます》に受け、彼の方から差し出した徳利にそれを移して売ってくれる。それまではよかったが、彼は隠し持つ酒を携え帰る途中でさまざまな恐ろしい思いをした。そして、家まで帰り着かないうちに、目がさめた。
しばらく盃《さかずき》を手にしない結果が、こんな夢だ。彼の内部《なか》にはいろいろなことも起こって来るようになった。妙に気の沈む時は、部屋《へや》にある襖《ふすま》の唐草《からくさ》模様なぞの情《こころ》のないものまでが生き動く物の形に見えて来た。男女両性のあろうはずもない器物までが、どうかすると陰と陽との姿になって彼の目に映って来た。小半日暮らした。その彼が周囲を見回したころは夕方に近い。お民は本家の手伝いから帰って来て、隠宅の台所で夕飯のしたくを始める。とにもかくにも一夏の間、自ら思い立って守りつづけて来た飲酒の戒も、妙な夢を見たために捨てたくなったことを彼はお民に話し、これでは無理だと思って来たのもその夢からであったと彼女の前に白状した。その時、お民は襷《たすき》がけのまま、実はしばらく見えなかった落合の勝重《かつしげ》が最近にまた訪《たず》ねて来てくれた時に置いて行った酒のあることを夫に告げた。彼女はそれを夫に隠して置いたことをも告げた。
「ホ、落合の酒をくれたか。勝重さんはこの四月にもおれのところへさげて来てくれたッけが。」
「なんでも、あの人はあなたの禁酒したことを知らなかったんですとさ。どうも失礼した、お師匠さまには内証にしてくれなんて、そう言って、これは煮ものにでも使うようにッて置いて行きましたよ。」
こんな言葉をかわした後、間もなくお民はしたくのできた膳《ぜん》を台所から運んで来た。憔悴《しょうすい》した夫のためにつけた一本の銚子《ちょうし》をその膳の上に置いた。
「こりゃ、めずらしい。お民はほんとうにおれに飲ましてくれるのかい。」
半蔵はまるでうそのように好きな物にありついて、盃にあふれるその香気《かおり》をかいだ。そして元気づいた。お民はその夫の顔をながめながら、
「そう言えば、こないだというこないだは、わたしもびッくりしましたよ。」
「うん、あの話か。あんなことは、めったにないやね。なにしろ、お前、変なやつが来てこの庭のすみに隠れているんだろう。あいつは恐ろしいやつさ。このおれをねらっているようなやつさ。おれもたまらんから、古い杉ッ葉に火をつけて、投《ほう》りつけてくれた。もうあんなものはいないから安心するがいい。」
「ほんとに、あなたも気をつけてくださらなけりゃ……」
実際、半蔵にはそんなことも起こって来ていた。
つましくはあるが、しかし楽しい山家風な食事のうちに日は暮れて行った。街道筋に近く住むころともちがい、本家の方ではまだ宵《よい》の口の時刻に、隠宅の周囲《まわり》はまことにひっそりとしたものだ。谷の深さを思わせるようなものが、ここには数知れずある。どうかすると里に近く来て啼《な》く狐《きつね》の声もする。食後に、半蔵は二階へも登らずに、燈火《あかり》のかげで夜業《よなべ》を始めたお民を相手に書見なぞしていたが、ふと夜の空気を通して伝わって来る遠い人声を聞きつけて、両方の耳に手をあてがった。
「あ――だれかおれを呼ぶような声がする。」
と彼はお民に言ったが、妻には聞こえないというものも彼には聞こえる。彼はまた耳を澄ましながら、じっとその夜の声に聞き入った。
十五夜には、半蔵も村の万福寺の松雲和尚《しょううんおしょう》から月見の客の一人《ひとり》に招かれた。今さらここにことわるまでもなく、青山の家と万福寺との関係は開山のそもそもからで、それほど縁故の深い寺ではあるが、例の神葬改典以来は父祖の位牌《いはい》も多く持ち帰り、わずかに万福寺の開基と中興の開基との二本の位牌を残したのみで、あの先祖道斎が建立《こんりゅう》した菩提寺《ぼだいじ》も青山の家からは遠くなった。こんな事情があるにもかかわらず住持の松雲はわざわざ半蔵の隠宅まで案内の徒弟僧をよこすほどの旧《むかし》を忘れない人である。
招かれて行く時刻が来た。半蔵は隠宅を出た。まだ日も暮れきらないうちであったが、空には一点の雲もなく、その夜の月はさぞと、小集の楽しさも思われないではない。しかし、彼の足は進まなかった。妙に心も寒かった。ためらいがちに、彼はその寺道を踏んで行った。そして、しばらくぶりで山門の外の石段を登った。数体の観音《かんのん》の石像の並ぶ小高い石垣《いしがき》の斜面に沿うて、万福寺の境内へ出た。そこにひらける本堂の前の表庭は、かつて彼の発起で、この寺に仮の教場を開いたころの記憶の残る場所である。経王石書塔の文字の刻してある石碑が立つあたり、古い銀杏《いちょう》の樹《き》のそばにある鐘つき堂の辺、いずれも最初の敬義学校の児童が遊び戯れた当時を語らないものはない。
「おゝ、お師匠さまが見えた。」
という寺男の声を聞いて、勝手を知った半蔵は庫裡《くり》の囲炉裏ばたの方から上がった。彼は松雲が禅僧らしい服装《みなり》でわざわざその囲炉裏ばたまで出て迎えてくれるのにもあった。やがて導かれて行ったところは住持の居間である。古い壁に達磨《だるま》の画像なぞのかかった方丈である。そこにはすでに招かれて来ている二、三の先着の客もある。旧|組頭《くみがしら》笹屋庄助《ささやしょうすけ》、それから小笹屋《こざさや》勝七の跡を相続した勝之助の手合いだ。馬籠町内でもことに半蔵には気に入りの人たちだ。こんな顔ぶれを集めての催しである上に、主人の松雲は相変わらずの温顔で、客に親疎を問わず、好悪《こうお》を選ばずと言ったふうの人だ。
まず寺にも異状はない。そのことに、半蔵はやや心を安んじた。柿《かき》、栗《くり》、葡萄《ぶどう》、枝豆《えだまめ》、里芋《さといも》なぞと共に、大いさ三寸ぐらいの大団子《おおだんご》を三方《さんぼう》に盛り、尾花《おばな》や女郎花《おみなえし》の類《たぐい》を生けて、そして一夕を共に送ろうとするこんな風雅な席に招かれながら、どうして彼は滑稽《こっけい》な、しかもまじめな心配に息をはずませ、危害でも加えに来るものを用心するかのようなばからしくくだらないことを考えて、この寺道を踏んで来たろうと、自分ながらも笑止に思った。松雲は茶菓なぞを徒弟僧に運ばせ、慇懃《いんぎん》に彼をももてなした。ふと彼が気づいて見ると、この寺で出す菓子の類にも陰と陽とがある。彼もほほえまずにいられなかった。まだ客の顔はすっかりそろわなかったから、そこに集まったものの中には、庭の見える縁側にすべり出、和尚の意匠になる築山《つきやま》泉水の趣をながめるものがある。夕やみにほのかな庭のすみの秋萩《あきはぎ》に目をとめるものもある。その間、半蔵は座を離れて、寺男から手燭《てしょく》を借りうけ、それに火をとぼし、廊下づたいに暗い本堂の方へ行って見た。位牌堂に残してある遠い先祖が二本の位牌を拝するためであった。
間もなく方丈では主客うちくつろいでの四方山《よもやま》の話がはじまった。点火《あかり》もわざと暗くした風情《ふぜい》の中に、おのおの膳《ぜん》についた。いずれも草庵《そうあん》相応な黒漆《くろうるし》を塗った折敷《おしき》である。夕顔《ゆうがお》、豆腐の寺料理も山家は山家らしく、それに香味を添えるものがあれば、それでもよい酒のさかなになった。同じ大根おろしでも甘酢《あまず》にして、すり柚《ゆず》の入れ加減まで、和尚の注意も行き届いたものであった。塩ゆでの枝豆、串刺《くしざ》しにした里芋の味噌焼《みそや》きなぞは半蔵が膳の上にもついた。庄助は半蔵の隣の席にいて、
「へえ、お師匠さまは酒はおやめになったように聞いていましたが、またおはじめになりましたかい。」
これには半蔵もちょっと挨拶《あいさつ》に困った。正直者で聞こえた庄助は、飲めばすこししつこくなる方で、半蔵が様子を黙って見てはいなかった。
一同の待ち受ける秋の夜の光が寺の庭に満ちて来たころ、半蔵はまだ盃を重ねていた。いったん、やめて見た酒も、口あたりのよいやつを鼻の先へ持って来ると、まんざらでもない。それに和尚の款待《もてなし》ぶりもうれしくて、思わず彼はいい心持ちになるほど酔った。でも、彼のはそう顔へは発しなかった。やがて彼は人々と共に席を離れて縁側へ出て見たが、もはやすこし肌寒《はださむ》いくらいの冷えびえとした空気がかえって彼に快感を覚えさせた。そこここの柱のそばには、あるいはうずくまり、あるいは立ちして、水のように澄み渡っ
前へ
次へ
全49ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング