のほかは洋服を着用しても苦しくないか。神社仏寺とも古来所伝の什物《じゅうもつ》、衆庶寄付の諸器物、並びに祠堂金《しどうきん》等はこれまで自儘《じまま》に処分し来たったが、これも一々教部省へ具状すべき筋のものであるか。従来あった梓巫《あずさみこ》、市子《いちこ》、祈祷《きとう》、狐下《きつねさ》げなぞの玉占《たまうら》、口よせ等は一切禁止せらるるか。寺住職の家族はその寺院に居住のまま商業を営んでも苦しくないか。もし鬘《かつら》を着けるなら、寺住職者の伊勢参宮も許されるかの類《たぐい》だ。国学の権威、一代の先駆者、あの本居翁が滑稽《こっけい》な戯画中の人物と化したのも、この調子の低い空気から出たことだ。
「教部省のことはもはや言うに足りない。」
 とは半蔵の嘆息だ。
 今は彼も再び役所の同僚の方へ帰って行く気はないし、また帰れもしない。いよいよ役所の仕事からも離れて、辞職の手続きをする心に至って見ると、彼なぞのそう長く身を置くべき場所でないこともはっきりした。

       三

 半蔵が教部省御雇いとしての日はこんなふうに終わりを告げた。半年の奉職は短かったが、しかし彼はいろいろなことを学んで来た。平田派諸先輩の学者たちが祭政一致の企てに手を焼いたことをも、それに代わって組織された神仏合同大教院のような政府の教化事業が結局失敗に終わるべき運命のものであることを知って来たのも、その短い月日の間であった。ここまで御一新に路《みち》を開《あ》けたあの本居翁のような人さえもが多くの俗吏によってどんなふうに取り扱われているかを知って来たのも、またその間であった。
 この彼も、行き疲れ、思い疲れた日なぞには、さすがに昨日のことを心細く思い出す。十一月にはいってからは旅寝の朝夕もめっきりと肌《はだ》寒い。どうかすると彼は多吉夫婦が家の二階の仮住居《かりずまい》らしいところに長い夜を思い明かし、行燈《あんどん》も暗い枕《まくら》もとで、不思議な心地《ここち》をたどることもある……いつのまにか彼はこの世の旅の半ばに正路を失った人である。そして行っても行っても思うところへ出られないようないらいらした心地で町を歩いている……ふと、途中で、文部|大輔《たいふ》に昇進したという田中不二麿に行きあう。そうかと思うと、同門の医者、金丸恭順も歩いている。彼は自分で自分の歩いているところすらわからないような気がして来る。途方に暮れているうちに、ある町の角《かど》なぞで、彼は平素それほど気にも留めないような見知らぬ人の目を見つける。その目は鋭く彼の方を見つつあるもののようで、
「あそこへ行くのは、あれはなんだ――うん、総髪《そうがみ》か」とでも言うように彼には感じられる。彼はまだ散切《ざんぎ》りにもしないで、総髪を後方《うしろ》にたれ、紫の紐《ひも》でそれを堅く結び束ねているからであった。そういう彼はまた、しいてそんな風俗を固守しているでもないが、日ごろの願いとする古い神社の方へ行かれる日でも来たら、総髪こそその神に仕える身にはふさわしいと思われるからでもあった。不思議にも、鋭く光った目は彼の行く先にある。どう見てもそれは恐ろしい目だ。こちらの肩をすくめたくなるような目だ。彼はそんな物言う目を洋服姿の諸官員なぞが通行の多い新市街の中に見つけるばかりでなく、半分まだ江戸の町を見るような唐物《とうぶつ》店、荒物店、下駄《げた》店、針店、その他紺の暖簾《のれん》を掛けた大きな問屋が黒光りのする土蔵の軒を並べた商家の空気の濃いところにすら見つける。どうかすると、そんな恐ろしい目はある橋の上を通う人力車の中にまで隠れている。こういうのが夢かしらん。そう思いながら、なおその心地をたどりつづけるうちに、大きな河《かわ》の流れているところへ出た。そこは郷里の木曾川《きそがわ》のようでもあれば、東京の隅田川《すみだがわ》のようでもある。水に棹《さお》さして流れを下って来る人がある。だんだんこちらの岸に近づいたのを見ると、その小舟をあやつるのは他の人でもない。それが彼の父吉左衛門だ。父はしきりに彼をさし招く。舟の中には手ぬぐいで髪をつつんだ一人《ひとり》のうしろ向きの婦人もある。彼は岸から父に声をかけて見ると、その婦人こそ彼を生んだ実の母お袖《そで》と聞かされて驚く。その時は彼も一生懸命に母を呼ぼうとしたが、あいにく声が咽喉《のど》のところへ干《ひ》からびついたようになって、どうしてもその「お母《っか》さん」が出て来ない。はるかに川上から橋の下の方へ渦巻《うずま》き流れて来る薄濁りのした水の勢いは矢のような早さで、見るまに舟も遠ざかって行く。思わず彼は自分で自分の揚げたうなり声にびっくりして、目をさました。


 こんなに父母が夢にはいったのは、半蔵としてはめずらしいことだった。半年の旅の末にはこんな夢を見ることもあるものか。そう彼は考えて、まだ寝床からはい出すべき時でもない早暁の枕の上で残った夢のこころもちに浸っていた。いつでも寝返りの一つも打つと、からだを動かすたびにそんなこころもちの消えて行くのは彼の癖であったが、その明けがたにかぎって、何がなしに恐ろしかった夢の筋から、父母の面影までが、はっきりと彼の胸に残った。これまで彼が亡《な》き父を夢に見た覚えは、ただの一度しかない。青山の家に伝わる馬籠《まごめ》本陣、問屋《といや》、庄屋《しょうや》の三役がしきりに廃止になった後、父吉左衛門の百か日を迎えたころに見たのがその夢の記憶だ。その時にできた歌もまだ彼には忘れられずにある。
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亡《な》き人に言問《ことと》ひもしつ幽界《かくりよ》に通ふ夢路《ゆめじ》はうれしくもあるか
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 こんな自作の歌までも思い出しているうちに、耳に入る冷たい秋雨の音、それにまじってどこからともなく聞こえて来る蟋蟀《こおろぎ》の次第に弱って行くような鳴き声が、いつのまにか木曾の郷里の方へ彼の心を誘った。彼は枕の上で、恋しい親たちの葬ってある馬籠万福寺の墓地を思い出した。妻のお民や四人の子の留守居する家の囲炉裏ばたを思い出した。平田同門の先輩も多くある中で、彼にはことに親しみの深い暮田正香をめずらしく迎え入れたことのある家の店座敷を思い出した。木曾路通過の正香は賀茂の方へ赴任して行く旅の途中で、古い神社へとこころざす手本を彼に示したのもあの先輩だが、彼と共にくみかわした酒の上で平田一門の前途を語り、御一新の成就のおぼつかないことを語り、復古が復古であるというのはそれの達成せられないところにあると語り、しまいには熱い暗い涙があの先輩の男らしい顔を流れたことを思い出した。彼はまた、松尾|大宮司《だいぐうじ》として京都と東京の間をよく往復するという先輩|師岡正胤《もろおかまさたね》を美濃《みの》の中津川の方に迎えた時のことを思い出し、その小集の席上で同門の人たちが思い思いに歌を記《しる》しつけた扇を思い出し、あるものはこうして互いにつつがなくめぐりあって見ると八年は夢のような気がするとした意味の歌を書いたことを思い出し、あるものは辛《から》いとも甘いとも言って見ようのない無限の味わいをふくみ持った世のありさまではあるぞとした意味のものであったことを思い出した。その時の師岡正胤が扇面に書いて彼に与えたものは、この人にしてこの歌があるかと思われるほどの述懐で、おくれまいと思ったことは昔であるが、今は人のあとにも立ち得ないというような、そんな思いの寄せてあったことをも思い出した。
 やがて彼は床を離れて、自分で二階の雨戸をくった。二つある西と北との小さな窓の戸をもあけて見たが、まだそこいらは薄暗いくらいだった。階下の台所に近い井戸のそばで水垢離《みずごり》を取り身を浄《きよ》めることは、上京以来ずっと欠かさずに続けている彼が日課の一つである。その時が来ても、おそろしく路《みち》に迷った夢の中のこころもちが容易に彼から離れなかった。そのくせ気分ははっきりとして来て、何を見ても次第に目がさめるような早い朝であった。雨も通り過ぎて行った。


「ゆうべは多吉さんもおそかったようですね。」
「青山さん、さぞおやかましゅうございましたろう。吾夫《うち》じゃあんなにおそく帰って来て、戸をたたきましたよ。」
 問う人は半蔵、答える人は彼に二階の部屋《へや》を貸している多吉の妻だ。その時のお隅《すみ》の挨拶《あいさつ》に、
「まあ聞いてください。吾夫《うち》でも好きな道と見えましてね、運座でもありますとよくその方の選者に頼まれてまいりますよ。昨晩の催しは吉原《よしわら》の方でございました。御連中が御連中で、御弁当に酒さかななぞは重詰《じゅうづ》めにして出しましたそうですが、なんでも百韻とかの付合《つけあい》があって、たいへんくたぶれたなんて、そんなことを言っておそく帰ってまいりました。でも、あなた、男の人のようでもない。吉原まで行って、泊まりもしないで帰って来る――意気地《いくじ》がないねえ、なんて、そう言って、わたしは笑っちまいましたよ。」
「どうも、おかみさんのような人にあっちゃかないません。」
「ところが、青山さん、吾夫《うち》の言い草がいいじゃありませんか。おそく夜道を帰って来るところが、おれの俳諧《はいかい》ですとさ。」
 多吉夫婦はそういう人たちだ。
 十年一日のように、多吉は深川米問屋の帳付けとか、あるいは茶を海外に輸出する貿易商の書役《かきやく》とかに甘んじていて、町人の家に生まれながら全く物欲に執着を持たない。どこへ行くにも矢立てを腰にさして胸に浮かぶ発句《ほっく》を書き留めることを忘れないようなところは、風狂を生命とする奇人伝中の人である。その寡欲《かよく》と、正直と、おまけに客を愛するかみさんの侠気《きょうき》とから、半蔵のような旅の者でもこの家を離れる気にならない。
 この亭主《ていしゅ》に教えられて半蔵がおりおりあさりに行く古本屋が両国|薬研堀《やげんぼり》の花屋敷という界隈《かいわい》の方にある。そこにも変わり者の隠居がいて、江戸の時代から残った俳書、浮世草紙《うきよぞうし》から古いあずま錦絵《にしきえ》の類を店にそろえて置いている。半蔵は亭主多吉が蔵書の大部分もその隠居の店で求めたことを聞いて知っていた。そういう彼も旅で集めた書物はいろいろあって、その中の不用なものを売り払いたいと思い立ち、午後から薬研堀を訪《おとな》うつもりで多吉の家を出た。
 偶然にも半蔵の足は古本屋まで行かないうちに懇意な医者の金丸恭順がもとに向いた。例の新乗物町という方へ訪《たず》ねて行って見ると、ちょうど恭順も病家の見回りから帰っている時で、よろこんで彼を迎えたばかりでなく、思いがけないことまでも彼の前に持ち出した。その時の恭順の話で、彼はあの田中不二麿が陰ながら自分のために心配していてくれたことを知った。飛騨《ひだ》水無《みなし》神社の宮司に半蔵を推薦する話の出ているということをも知った。これはすべて不二麿が斡旋《あっせん》によるという。
 恭順は言った。
「どうです、青山君、君も役不足かもしれないが、一つ飛騨の山の中へ出かけて行くことにしては。」
 どうして役不足どころではない。それこそ半蔵にとっては、願ったりかなったりの話のように聞こえた。この飛騨行きについては、恭順はただ不二麿の話を取り次ぐだけの人だと言っているが、それでも半蔵のために心配して、飛騨の水無神社は思ったより寂しく不便なところにあるが、これは決して左遷の意味ではないから、その辺も誤解のないように半蔵によく伝えくれとの不二麿の話であったと語ったりした。
「いや、いろいろありがとうございました。」と半蔵は恭順の前に手をついて言った。「わたしもよく考えて見ます。その上で田中さんの方へ御返事します。」
「そう君に言ってもらうと、わたしもうれしい。時に、青山君、君におめにかけるものがある。」
 と恭順は言いながら、黒く塗った艶消《つやけ》しの色も好ましい大きな文箱《ふばこ》を奥座敷の小襖《こぶすま》から取り出
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