たちですら心あるものは皆待ち受けていた新たな郡県の時代が来た。これは山間居住の民にとっても見のがせない機会であったのだ。
もともとこの山林事件は明治初年にはじまった問題でもなく、実は旧領主と人民との間に続いた長い紛争の種で、御停止木のことは木曾谷第一の苦痛であるとされていた。こんなに明治になってまた活《い》き返って来たというのも決して偶然ではない。それは宿村の行き詰まりによることはもちろんであるが、一つには明治もまだその早いころで、あらゆるものに復古の機運が動いていたからであった。当時、深い草叢《くさむら》の中にあるものまでが時節の到来を感じ、よりよい世の中を約束するような新しい政治を待ち受けた。従来の陋習《ろうしゅう》を破って天地の公道に基づくべしと仰せ出された御誓文の深さは、どれほどの希望を多くの民に抱《いだ》かせたことか。半蔵らが山林に目をつけ、今さらのように豊富な檜木《ひのき》、椹《さわら》、明檜《あすひ》、高野槇《こうやまき》、それから※[#「木+鑞のつくり」、13−1]《ねずこ》などの繁茂する森林地帯の深さに驚き、それらのみずみずしい五木がみな享保年代からの御停止木である
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