あえず半蔵らはその請書《うけしょ》を認《したた》め、ついでにこの地方の人民が松本辺の豊饒《ほうじょう》な地とも異なり深山幽谷の間に居住するもののみであることを断わり、宿場《しゅくば》全盛の時代を過ぎた今日となっては、茶屋、旅籠屋《はたごや》をはじめ、小商人《こあきんど》、近在の炭《すみ》薪《まき》等を賄《まかな》うものまでが必至の困窮に陥るから、この上は山林の利をもって渡世を営む助けとしたいものであると、その請書を出す時には御停止木のことに触れ置いてあった。当時の信濃《しなの》の国は長野県と筑摩県との二つに分かれ、筑摩県の管轄区域は伊那《いな》の谷から飛騨《ひだ》地方にまで及んでいた。本庁所在地松本以外の支庁も飯田《いいだ》と高山《たかやま》とにしか取り設けてなかったほどの草創の時で、てんで木曾福島あたりにはまだ支庁も置かれなかった。遠い村々から松本までは二十里、三十里である。何事を本庁に届けるにもその道を踏まねばならぬ。それだけでも人民疾苦の種である。半蔵らの請書はその事にも言い及んであった。東北戦争以来、すでにそのころは四年の月日を過ぎ、一藩かぎりの制度も改革されて、徳川旧幕府の人
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