た。彼らがこれを持ち出したのは、木曾地方もまさに名古屋県の手を離れようとしたころで、当時は民政|権判事《ごんはんじ》としての土屋総蔵もまだ在職したが、ちょうど名古屋へ出かけた留守の時であった。そこでこの願書は磯部弥五六《いそべやごろく》が取り次ぎ、岩田市右衛門《いわたいちえもん》お預かりということになった。いずれ土屋|権大属《ごんだいぞく》帰庁の上で評議にも及ぶであろう、それまではまずまず預かり置く、そんな話で、王滝《おうたき》、贄川《にえがわ》、藪原《やぶはら》の三か村から出た総代と共に、半蔵は福島出張所から引き取って来た。もし土屋総蔵のような理解のある人に今すこしその職にとどまる時を与えたらと、谷中の戸長仲間でそれを言わないものはなかった。不幸にも、総蔵は筑摩県の官吏らに一切を引き渡し、前途百年の計をあとから来るものに託して置いて、多くの村民に惜しまれながらこの谷を去った。
 木曾地方が筑摩県の管轄に移されたのは、それから間もなくであった。明治五年の二月には松本を所在地とする新しい県庁からの申し渡し、ならびに布令書《ふれがき》なるものが、早くもこの谷中へ伝達されるようになった。とり
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