最初は割合に単純な性質のものであった。従来|尾州《びしゅう》領であったこの地方では、すべてにわたり同藩保護の下に発達して来たようなもので、各村とも榑木御切替《くれきおきりか》えととなえて、年々の補助金を同藩より受け、なお、補助の目的で隣国|美濃《みの》の大井村その他の尾州藩管下の村々から輸入されて来る米の代価も、金壱両につき年貢金納《ねんぐきんのう》値段よりも五升安の割合で、それも翌年の十二月中に代金を返済すればいいほどの格別な取り扱いを受けて来た。いよいよ廃藩置県が実現され、一藩かぎりで立てて置いた制度もすべて改革される日が来て見ると、明治四年を最後としてこれらの補助を廃止する旨の名古屋県からの通知があり、おまけに簡易省略の西洋流儀に移った交通事情の深い影響をうけて、木曾路を往来する旅人からも以前のようには土地を潤してもらえなくなった。この事情を当局者にくんでもらって、今度の改革を機会に享保《きょうほう》以前の古《いにしえ》に復し、木曾谷中の御停止木《おとめぎ》を解き、山林なしには生きられないこの地方の人民を救い出してほしい。これが最初の嘆願書の趣意であった。その起草にも半蔵が当たっ
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