さつ》に来たので、しばらく二人の話は途切れた。これは半蔵の長男、これは三男とおまんに言われて、宗太や森夫も改まった顔つきをしながら客の前へお辞儀に出る。
「暮田さんは信州岩村田の御出身でいらっしゃるそうですね。そういえば、どっか山国のおかたらしい。」とおまんは客に言って、勝手の方から膳《ぜん》を運ぶお粂を顧みながら、「こんな山家で何もおかまいはできませんが、まあ、ごゆっくりなすってください。」
お粂が持って来て客と父との前に置いた膳の上には、季節がらの胡瓜《きゅうり》もみ、青紫蘇《あおじそ》、枝豆、それにきざみずるめなぞを酒のさかなに、猪口《ちょく》、割箸《わりばし》もそろった。おまんがそれを見て部屋から退くころには、正香はもうあぐらにやる。
「どれ、あの記念の扇子を暮田さんにお目にかけるか。」
と半蔵は言って、師岡正胤らと共に中津川の方で書いたものを正香の前にひろげて見せた。平田|篤胤《あつたね》没後の門人らの思い思いに記《しる》しつけた述懐の歌がその扇子の両面にある。辛《から》い、甘い、限り知られない味わいをふくみ持った世のありさまではあるぞとした意味のものもある。こうして互い
前へ
次へ
全489ページ中73ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング