につつがなくめぐりあって見ると、八年は夢のような気がするとした意味のものもある。おくれまいと思ったことは昔であって、今は人のあとにも立ち得ないというような、そんな思いを寄せてあるのは師岡正胤だ。
「へえ、師岡がこんな歌を置いて行きましたかい。」
と言いながら、正香はその扇面に見入った。過ぐる文久三年、例の等持院にある足利《あしかが》将軍らの木像の首を抜き取って京都三条|河原《がわら》に晒《さら》し物にした血気さかんなころの正香の相手は、この正胤だ。その後、正香が伊那《いな》の谷へ来て隠れていた時代は、正胤は上田藩の方に六年お預けの身で、最初の一年間は紋付を着ることも許されず、ただ白無垢《しろむく》のみを許され、日のめも見ることのできない北向きの一室にすわらせられ、わずかに食事ごとの箸先を食い削ってそれを筆に代えながら、襦袢《じゅばん》の袖口《そでぐち》から絞る藍《あい》のしずくで鼻紙に記《しる》しつける歌日記を幽閉中唯一の慰めとしていたという。先帝|崩御《ほうぎょ》のおりの大赦がなかったら、正胤もどうなっていたかわからなかった。この人のことは正香もくわしい。
その時、半蔵は先輩に酒
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