の廃関に。本陣、脇《わき》本陣、問屋、庄屋、組頭の廃止に。一切の宿場の改変に。引きつづく木曾谷の山林事件に。彼は一日も忘れることのない師|鉄胤《かねたね》のもとにすら久しいこと便《たよ》りもしないくらいであったと語った。彼はまた、師のあとを追って東京に出た中津川の友人香蔵のことを正香の前に言い出し、師が参与と神祇官《じんぎかん》判事とを兼ねて後には内国局判事と侍講との重い位置にあったころは、(ちなみに、鉄胤は大学大博士ででもあった)、あの友人も神祇|権少史《ごんしょうし》にまで進んだが、今は客舎に病むと聞くと語った。彼らは互いに執る道こそ異なれ、同じ御一新の成就を期待して来たとも語った。香蔵からは、いつぞやも便りがあって、「同門の人たちは皆祭葬の事にまで復古を実行しているのに、君の家ではまだ神葬祭にもしないのか」と言ってよこしたが、木曾山のために当時奔走最中の彼が暗い行燈《あんどん》のかげにその手紙を読んだ時は、思わず涙をそそった。そんな話も出た。
「暮田さん、あなたにお目にかけるものがある。」
と言って、半蔵は一幅の軸を袋戸棚《ふくろとだな》から取り出した。それを部屋《へや》の壁に
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