せた。当時は新政府の信用もまだ一般に薄かった。沿道諸藩の向背《こうはい》のほども測りがたかった。何よりもまず人民の厚い信頼に待たねばならないとして、あの東山道総督執事が地方人民に応援を求める意味の布告を発したことは一度や二度にとどまらなかった。このたび進発の勅命をこうむったのは、一方に諸国の情実を問い、万民塗炭の苦しみを救わせられたき叡旨《えいし》であるぞと触れ出されたのもあの時であった。徳川支配地はもちろん、諸藩の領分に至るまで、年来|苛政《かせい》に苦しめられて来たもの、その他子細あるものなどは、遠慮なくその旨《むね》を本陣に届けいでよと言われ、彼も本陣役の一人として直接その衝に当たったことはまだ彼には昨日のことのようでもある。彼半蔵のような愚直なものが忘れようとして忘れられないのは、民意の尊重を約束して出発したあの新政府の意気込みであった。彼が多くの街道仲間の不平を排しても、本陣を捨て、問屋を捨て、庄屋を捨てたというのは、新政府の代理人ともいうべき官吏にこの約束を行なってもらいたいからであった。
 小松の影を落とした川の中淵《なかぶち》を右手に望みながら、また彼は歩き出した。彼の
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