の早い流れ、光る瀬、その河底《かわぞこ》の石までが妙に彼の目に映った。
 笠《かさ》草鞋《わらじ》のしたくもそこそこに帰路につこうとしたころの彼は、福島での知人の家などを訪《たず》ねる心も持たなかった人である。街道へは、ぽつぽつ五月の雨が来る。行く先に残った花やさわやかな若葉に来る雨は彼の頬《ほお》にも耳にも来たが、彼はそれを意にも留めずに、季節がら吹き降りの中をすたすた上松《あげまつ》まで歩いた。さらに野尻《のじり》まで歩いた。その晩の野尻泊まりの旅籠屋《はたごや》でも、彼はよく眠らなかった。
 翌日の帰り道には、朝から晴れた。青々とした空の下へ出て行って、ようやく彼も心の憤りを沈めることができた。いろいろ思い出すことがまとまって彼の胸に帰って来た。
「御一新がこんなことでいいのか。」
 とひとり言って見た。時には彼は路傍の石の上に笠を敷き、枝も細く緑も柔らかな棗《なつめ》の木の陰から木曾川の光って見えるところに腰掛けながら考えた。
 消えうせべくもない感銘の忘れがたさから、彼はあの新時代の先駆のような東山道軍が岩倉公子を総督にして西からこの木曾街道を進んで来た時の方に思いを馳《は》
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