だだと知っていた。実に瞬間に、彼も物を見定めねばならなかった。一礼して、そのまま引き下がった。
 興禅寺の門を出て、支庁から引き取って行こうとした時、半蔵はその辺の屋敷町に住む旧士族に行きあい、わずかの挨拶《あいさつ》の言葉をかわした。その人は、福島にある彼の歌の友だちで、香川景樹《かがわかげき》の流れをくむものの一人《ひとり》で、何か用達《ようた》しに町を出歩いているところであったが、彼の顔色の青ざめていることが先方を驚かした。歩けば歩くほど彼は支庁の役人から戸長免職を言い渡された時のぐっと徹《こた》えたこころもちを引き出された。言うまでもなく、村方《むらかた》総代仲間が山林規則を過酷であるとして、まさに筑摩県庁あての嘆願書を提出するばかりにしたくをととのえたことが、支庁の人たちの探るところとなったのだ。彼はその主唱者とにらまれたのだ。たとえようのないこころもちで、彼は山村氏が代官屋敷の跡に出た。瓦解《がかい》の跡にはもう新しい草が見られる。ここが三|棟《むね》の高い鱗葺《こけらぶ》きの建物の跡か、そこが広間や書院の跡かと歩き回った。その足で彼は大手橋を渡った。橋の上から見うる木曾川
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