まったが、一同待ち受ける妻籠《つまご》からの寿平次、実蔵、それに木曾福島からのお粂《くめ》夫婦はまだ見えなかった。なんと言っても旧本陣のことで、以前から縁故の深かった十三人の百姓の家のもの、大工、畳屋から髪結いまでがそこへ来て、半蔵生前の話が尽きない。あるものは子供の時分、本陣の裏庭へ巴旦杏《はたんきょう》を盗みに忍び入って、うしろからうんと一つどやしつけられたが、その人がお師匠さまであったことは今だに忘れられないとの話をはじめる。その話をはじめたものはまた、半蔵が袂《たもと》の中にいっぱい蜜柑《みかん》を入れていてよく村の児童《こども》に分け与えるような幼いものの友だちであったと言い、自分もまたその蜜柑に誘われてお師匠さまの家に通いはじめ、その時から読み書きの道を覚えたことも忘れられないなぞと語り出す。
 明治十九年十一月二十九日の夜のことで、戸の外へはまた深い山の雨が来た。勝重はその初冬らしい雨の音をききながら、互いに膝《ひざ》をまじえている村の人たちの思い出に耳を傾けて、そんな些細《ささい》な巴旦杏や蜜柑の話に残る師匠が人柄のゆかしさを思った。


 翌日の午後、勝重は伏見屋の主
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