れたかのように、お民やお粂に向かって何か物を書いて見たいと言い、筆紙の類《たぐい》を入れてくれと頼んだ。
「それがいい。」とお粂も言った。「何か書いてごらんなさるがいい。紙や筆ぐらいは入れてあげますよ。お父《とっ》さんの気が晴れるようになさるのが何よりですからね。」
 お粂は人手を借りるまでもなく、自分自身に父の頼むものを整えようとして木小屋を出た。彼女は祖母たちのいる裏二階へ行ってそのことを話して見ると、そういうたぐいのものは皆隠宅(静《しず》の屋《や》)の方にしまい込んであった。その足で彼女は隣家の伏見屋まで頼みに行って、父の気に入りそうな紙の類を分けてもらうことにした。伏見屋には未亡人《みぼうじん》のお富《とみ》がある。この人は先代伊之助が生前に愛用したという形見の筆なぞをも探《さが》し出して貸してくれたので、お粂はそれらの筆紙を小脇《こわき》にかかえながら木小屋へ引き返して来た。硯《すずり》や墨は裏二階にあるもので間に合わせた。彼女は父のためにその墨を磨《す》って、次第に濃くなって行く墨のにおいをかぎながら、多くの楽しい日を父と共に送った娘の昔をお民のそばに思い出していた。
 
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