うでしょうな、あの時青山さんにお清書なぞを見ていただいた忰がことし十八になりますもの。」
 こんな話も出た。
 やがて半蔵は身を浄《きよ》め、笠《かさ》草鞋《わらじ》などを宿に預けて置いて、禰宜の子息《むすこ》と連れだちながら里宮|参詣《さんけい》の山道を踏んだ。
「これで春先の雉子《きじ》の飛び出す時分、あの時分はこのお山もわるくありませんよ。」
 十年の月日を置いて来て見ると、ほんの子供のように思われていた禰宜の子息が、もはやこんなことを半蔵に言って見せる若者だ。
 宗教改革の機運が動いた跡はここにも深いものがある。半蔵らが登って行く細道は石の大鳥居の前へ続いているが、路傍に両部時代の遺物で、全く神仏を混淆《こんこう》してしまったような、いかがわしい仏体銅像なぞのすでに打ち倒されてあるのを見る。その辺の石碑や祠《ほこら》の多くは、あるものは嘉永、あるものは弘化《こうか》、あるものは文久年代の諸国講社の名の彫り刻まれてあるものだ。さすがに多くの門弟を引き連れて来て峻嶮《しゅんけん》を平らげ、山道を開き、各国に信徒を募ったり、講中を組織したりして、この山のために心血をささげた普寛、神山
前へ 次へ
全489ページ中41ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング