福島から四里半も奥へはいった山麓《さんろく》の位置にある。木曾山のことを相談する必要が生じてから、過ぐる年も半蔵は王滝へ足を運び、遠山の家を訪《と》うおりには必ずこの禰宜のところへ来て泊まったが、来て見るたびに変わって行く行者《ぎょうじゃ》宿の光景が目につく。ここはもはや両部神道の支配するところでもない。部屋《へや》の壁の上に昔ながらの注連縄《しめなわ》なぞは飾ってあるが、御嶽山《おんたけさん》座王大権現《ざおうだいごんげん》とした床の間の軸は取り除かれて、御嶽三社を祀《まつ》ったものがそれに掛けかわっている。
「青山さん、まあきょうは一日ゆっくりなすってください。お宮の方へ御案内すると言って、忰《せがれ》のやつもしたくしています。」
 と禰宜も彼を見に来て言った。過ぐる文久《ぶんきゅう》三年、旧暦四月に、彼が父の病を祷《いの》るためここへ参籠《さんろう》にやって来た日のことは、山里の梅が香と共にまた彼の胸に帰って来た。あの時同伴した落合の勝重なぞはまだ前髪をとって、浅黄色《あさぎいろ》の襦袢《じゅばん》の襟《えり》のよく似合うほどの少年だった。
「あれからもう十一年にもなりますか。そ
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