うな旅人に過ぎないとしたら。
「もうもう東京へ子供を見に行くことは懲りた。」
とは彼が郷里に帰り着いてから家のものに言って見せた言葉だ。
その年の夏は、いよいよ宗太夫婦との別居の履行された時であった。半蔵が和助を見に行って深く落胆して帰って来たというのも、子を思う心が深ければこそだ。隠宅の方へお民と共に引き移る日を迎えてからも、彼は郷里の消息を遠く離れている子にあてて書き送ることを忘れなかった。彼はその小楼を和助にも見せたいと書き、二階から見える山々の容《かたち》の雲に霧に変化して朝夕のながめの尽きないことを書き、伏見屋の三郎と梅屋の益穂《ますほ》とが本を読みに彼のもとへ通《かよ》って来るたびによく和助のうわさが出ることを書き、以前に伊那南殿村の稲葉家(おまんの生家《さと》)からもらい受けて来た杏《あんず》の樹《き》がその年も本家の庭に花をつけたが、あの樹はまだ和助の記憶にあるだろうかと書いた。時にはまた、本家の宗太も西|筑摩《ちくま》の郡書記を拝命して木曾福島の方へ行くようになったが交際交際で十円の月給ではなかなか足りそうもないと書き、しかし家の整理も追い追いと目鼻がついて来たこ
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