》わきの小学校へ通わせて見たが、兄の森夫の方は学問もそう好きでないらしいところから、いっそ商業で身を立てろと勧めて見たところ、当人もその気になり、日本橋本町の紙問屋に奉公する道が開けて来たのも、かえってあの子の将来のためであろうという。弟の和助の方は、と言うと、これは引き続き学校へ通わせるかたわら、弓夫みずから『詩経』の素読《そどく》をも授けて来た。幸い美濃岩村の旧藩士で、鎗屋町の跡に碁会所を開きたいという多芸多才な日向照之進《ひゅうがてるのしん》は弓夫が遠縁のものに当たるから、和助はその日向の家族の手に託して置いて来たともいう。
「和助は学問の好きなやつだで。あれはおれの子だで。」
と半蔵が弓夫らに言ったのもその時だった。
弓夫は一晩しか馬籠に泊まらなかった。家内と乳呑児《ちのみご》とを置いて一足《ひとあし》先に妻籠の方へ帰って行った。そのあとには一層半蔵やお民のそばへ近く来るお粂が残った。お粂は義理ある妹のお槇《まき》にも古疵《ふるきず》の痕《あと》を見られるのを気にしてか、すずしそうな単衣《ひとえ》の下に重ねている半襟《はんえり》をかき合わせることを忘れないような女だ。でも娘
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