うものを護《まも》って来たのもその大番頭たちであった。文明開化の今日、武家の内職として先祖の始めた時勢おくれの製薬なぞが明日の役に立とうかと言い、もっと気のきいたことをやって見せると言って家を飛び出して行った弓夫にも、とうとう辛抱強い薬方《くすりかた》の前に兜《かぶと》を脱ぐ時がやって来た。その帰参のかなうまで、当時妻籠の方に家を借りて、そこから吾妻村《あずまむら》小学校へ教えに通《かよ》っているというのも弓夫だ。
「やっぱり先祖の仕事は根深い。」
とは、弓夫が高い声を出して笑いながらの述懐だ。
旧本陣奥の間の風通しのよいところに横になって連れて来た女の子に乳房《ちぶさ》をふくませることも、先年東山道御巡幸のおりには馬籠|行在所《あんざいしょ》の御便殿《ごびんでん》にまで当てられた記念の上段の間の方まで母のお民と共に見て回ることも、お粂には久しぶりで味わう生家《さと》の気安さでないものはなかったようである。東京の方にお粂夫婦が残して置いて来たという二人の弟たちのことは半蔵もお民も聞きたくていた。弓夫らの話によると、半蔵の預けた子供は二人ともあの京橋鎗屋町の家から数寄屋橋《すきやばし
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