られた。まっしぐらに馬籠の裏道を東の村はずれの岩田というところまで走って行って、そこに水車小屋を営む遠縁のものの家へ寄った。硯《すずり》を出させ、墨を磨《す》らせた。紙をひろげて自作の和歌一首を大きく書いて見た。そしてよろこんだ。その彼の姿は、自分ながらも笑止と言うべきであった。そこからまた同じ裏道づたいに、共同の水槽《すいそう》のところに集まる水くみの女どもには、目もくれずに、急いで隠宅へ引き返して来た。
「まあ、きょうはどうなすったか。」
とお民はあきれた。
半蔵に言わせると、彼も不具ではない。不具でない以上、時にはこうした狂気も許さるべきであると。
「これがお前、生きているしるしなのさ。」
半蔵の言い草だ。
梅から山ざくら、山ざくらから紫つつじと、春を急ぐ木曾路《きそじ》の季節もあわただしい。静の屋の周囲にある雑木なぞが遠い谷々の草木と呼吸を合わせるように芽を吹きはじめると、日の色からしてなんとなく違って来るさわやかな明るさが一層半蔵の目には悩ましく映った。彼は二部屋ある二階の六畳の方に古い桐《きり》の机を置いて、青年時代から書きためた自作の『松《まつ》が枝《え》』、それ
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