と言い、日進月歩の時と言って、国学にとどまる平田門人ごときはあだかも旧習を脱せざるもののように見なさるるのもやむを得なかった。ただ半蔵としては、たといこの過渡時代がどれほど長く続くとも、これまで大和言葉《やまとことば》のために戦って来た国学諸先輩の骨折りがこのまま水泡《すいほう》に帰するとは彼には考えられもしなかった。いつか先の方には再び国学の役に立つ時が来ると信じないかぎり、彼なぞの立つ瀬はなかったのであった。
先師の書いたものによく引き合いに出る本居宣長の言葉にもいわく、
「吾《われ》にしたがひて物学ばむともがらも、わが後に、又《また》よき考への出《い》で来《きた》らむには、かならずわが説にななづみそ。わがあしき故《ゆえ》を言ひて、よき考へを弘《ひろ》めよ。すべておのが人を教ふるは、道を明らかにせむとなれば、とにもかくにも道を明らかにせむぞ、吾を用ふるにはありける。道を思はで、いたづらに吾を尊《とうと》まんは、わが心にあらざるぞかし。」
ここにいくらでも国学を新しくすることのできる後進の者の路《みち》がある。物学びするほどのともがらは、そう師の説にのみ拘泥《こうでい》するなと教
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