をいれてくれたというのも、やはり吉左衛門自身にその心が篤《あつ》かったからであった。かくも学ぶに難い時になって来て、何から何まで西洋の影響を受け、今日の形勢では西洋でなければ夜が明けないとまで言う人間が飛び出す世の中に立っては、彼とても何を自分の子供に学ばせ、自らもまた何を学ぼうと考えずにはいられなかった。どうして国学に心を寄せるほどのものが枕を高くして眠られる時ではないのだ。
 先師平田篤胤の遺著『静《しず》の岩屋《いわや》』をあの王滝の宿で読んだ日のことは、また彼の心に帰って来た。あれは文久三年四月のことで、彼が父の病を祷《いの》るための御嶽《おんたけ》参籠《さんろう》を思い立ち、弟子《でし》の勝重《かつしげ》をも伴い、あの山里の中の山里ともいうべきところに身を置いて、さびしくきこえて来る王滝川の夜の河音《かわおと》を耳にした時だった。先師と言えば、外国よりはいって来るものを異端邪説として蛇蝎《だかつ》のように憎みきらった人のように普通に思われながら、「そもそもかく外国々《とつくにぐに》より万《よろ》づの事物《ものごと》の我が大御国《おおみくに》に参り来ることは、皇神《すめらみかみ
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