蔵の協力者で、谷中総代十五名の中でも贄川《にえがわ》、藪原《やぶはら》二か村の戸長を語らい合わせ、半蔵と共に名古屋県時代の福島出張所へも訴え出た仲間である。今度二度目の嘆願がこれまでにしたくの整ったというのも、上松《あげまつ》から奥筋の方を受け持った五平の奔走の力によることが多かった。それもいわれのないことではない。この人は先祖代々御嶽の山麓《さんろく》に住み、王滝川のほとりに散在するあちこちの山村から御嶽裏山へかけての地方《じかた》の世話を一手に引き受けて、木曾山の大部分を失いかけた人民の苦痛を最も直接に感ずるものの一人もこの旧《ふる》い庄屋だからであった。王滝は馬籠あたりのように木曾街道に添う位置にないから、五平の家も本陣問屋は兼ねず、したがって諸街道の交通輸送の事業には参加しなかったが、人民と土地とのことを扱う庄屋としては尾州代官の山村氏から絶えず気兼ねをされて来たほどの旧い家柄でもある。
半蔵が禰宜《ねぎ》の家に笠《かさ》や草鞋《わらじ》をぬいで置いて、それから訪《たず》ねて行った時、五平の言葉には、
「青山さん、わたしのように毎日山に対《むか》い合ってるものは、見ちゃいられ
前へ
次へ
全489ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング