らと共にあの和宮様《かずのみやさま》御降嫁のおりの御通行を経験した彼は、あれほど街道の混雑を見ようとはもとより思わなかったが、それでも多数にお入り込みの場合を予想し、こんなことで人足や馬が足りようかと案じつづけた。
六月二十四日はすでに上諏訪《かみすわ》御発輿《ごはつよ》の電報の来るころである。その時になると、木曾谷山地の請願事件も、何もかも、この街道の空気の中に埋《うず》め去られたようになった。帝行幸のおうわさがあるのみだった。
この御巡幸の諸準備には、本県より出張した書記官や御用掛りの見分がある上に、御厩《おうまや》課、内匠《たくみ》課の人々も追い追い到着して、御道筋警衛の任に当たる警部や巡査の往来も日に日に多くなった。馬籠でも戸長をはじめとして、それぞれの御用取扱人というものを定めた。だれとだれは調度掛り、だれは御宿掛り、だれは人馬|継立《つぎた》て掛り、だれは御厩掛り、だれは土木掛りというふうに。半蔵は宗太を通して、その役割をしるした帳面を見せてもらうと、旧宿役人の名はほとんどその中に出ている。戊辰《ぼしん》の際に宿役人に進んだ亀屋《かめや》栄吉をはじめ、旧問屋九郎兵衛、旧
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