から疲れを引き出すようなものであった。彼は久しぶりに訪《たず》ねたいと思う人も多く、無沙汰《ぶさた》になった家々をもおとずれたく、日ごろ彼の家に出入りする百姓らの住居《すまい》をも見て回りたく、自ら創《はじ》めて立てた敬義学校の後身なる神坂《みさか》村小学校のことも心にかかって、現訓導の職にある小倉啓助の仕事をも助けたいとは思っていたが、一切をあと回しにしてまず休むことにした。万福寺境内に眠っている先祖道斎をはじめ先代吉左衛門の墓、それから伏見屋の金兵衛と伊之助とが新旧の墓なぞの並ぶ墓地の方で感慨の多い時でも送って帰って来ると、彼は自分の部屋の畳の上に倒れて死んだようになっていることもあった。
店座敷の障子のそばに置いてある彼の桐《きり》の机もふるくなった。その部屋は表庭つづきの前栽《せんざい》を前に、押入れ、床の間のついた六畳ほどの広さで、障子の外に見える古い松の枝が塀越《へいご》しに高く街道の方へ延びているのは、それも旧本陣としての特色の一つである。寛《くつろ》ぎの間《ま》を宗太若夫婦に譲ってからは、彼はその部屋に退くともなく退いた形で、客でもあればそこへ通し、夜は末の和助だけを
前へ
次へ
全489ページ中308ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング