してお出かけだよ。」
「はッ、はッ、はッ、はッ。」
半蔵は妻の手から笠《かさ》を受け取りながら笑った。
「お粂、王滝のお宮の方へ行ったら、お前の分もお参りして来てやるよ。」
との言葉を彼は娘にも残した。
したくはできた。そこで半蔵は飄然《ひょうぜん》と出かけた。戸長の旅費、一日十三銭の定めとは、ちょっと後世から見当もつかない諸物価のかけ離れていた時代だ。それも戸敷割でなしに、今度は彼が自分|賄《まかな》いの小さな旅だった。馬籠から妻籠まで行って、彼はお民の生家《さと》へ顔を出し、王滝行きの用件を寿平次にも含んで置いてもらって、さらに踏み慣れた街道を奥筋へと取った。妻籠あたりで見る木曾谷は山から伐り出す材木を筏《いかだ》に組んで流す冬期の作業のための大切な場所の一つにも当たる。その辺まで行くと、薄濁りのした日も緑色にうつくしい木曾川の水が白い花崗《みかげ》の岩に激したり、石を越えたりして、大森林の多い川上の方から瀬の音を立てながら渦巻《うずま》き流れて来ている。
四
「老先生へも久しくお便《たよ》りしない。」
野尻《のじり》泊まりでまた街道を進んで行くうちに、半
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